キベラスラムに子どものサッカーリーグ、ケニアの元プロサッカー選手が立ち上げ

選手を指導するラシディ・アモロさん(左から3人目)。コーチとして所属するプロサッカーチームのリギンドゴは2022年、ケニアディビジョン2(4部リーグ)で優勝した(写真はアモロさん提供)選手を指導するラシディ・アモロさん(左から3人目)。コーチとして所属するプロサッカーチームのリギンドゴは2022年、ケニアディビジョン2(4部リーグ)で優勝した(写真はアモロさん提供)

2000円なくて学校に行けない

「子どもたちにはサッカー選手になる夢をもってほしい」。アモロさんがこう強く思うのは、自身がサッカーで人生を切り開いてきた経験があるからだ。

アモロさんは、ナイロビから160キロメートル離れたナクルという町のスラムに生まれた。6人の子どもをもつ両親に定職はなく、一家は貧しい生活を強いられていたという。

アモロさんは、1学期分の学費2000シリング(約2100円)を親に出してもらえず苦労した。アモロさんの名前は、学費未納者として学期の初めに全校集会で読み上げられた。

「とても恥ずかしかった。学費が払えないと、ばかにするやつらもいた」

アモロさんは学費が払えず、学校を何度も退学。そのたびに違う学校に行き、頼み込んで授業を受けさせてもらった。

アモロ少年の唯一の楽しみがサッカーだった。当時所属していたナクルのサッカーアカデミー「オリンピックユースアカデミー」の参加費は無料。学校に行けない日もある中、「練習や試合でピッチに立つ時だけ、日頃の悩みやストレスを忘れることができた」(アモロさん)

サッカーで収入を得る

大きな転機が訪れたのは2004年、高校に入るときだ。アモロさんはサッカーの実力が認められ、奨学金を得ることに成功。1学期分の学費が6000シリング(約6300円)から2000シリング(約2100円)へと3分の1に減った。1年後に転校したモイ高校では無料になった。

アモロさんはまた、在学中の2008年からサッカーで収入を得るようになる。プロサッカーチーム「ナクル市フットボールクラブ」でプレーし始めたのだ。

このチームでは試合に出れば、毎回500シリング(約550円)をもらえる。アモロさんは試合に出場すると、家族のために砂糖やトウモロコシの粉を買って帰ったという。

「高校に進学するだけでなく、家族も支えられる。サッカーが生きる糧となった」

こう感じたアモロさんは、これまで以上に練習に励んだ。コーチの指導を仰ぎ、チームの練習が終わった後は自主練習。みるみる力をつけていったアモロさんは、ナクルでは知られる選手となった。

そんなアモロさんをケニア国内のビッグクラブは見逃さなかった。アモロさんは2008年、ナイロビを本拠地とするサッカークラブ「ゴル・マヒアFC」にスカウトされる。ケニアの1部リーグ「ケニアプレミアリーグ」で19回の優勝を誇る名門中の名門だ。アモロさんはサッカーでナイロビ行きのチケットをつかんだ。

その後、数チームを渡り歩いたアモロさんは2017年に引退。10年のプロサッカーキャリアに幕を閉じた。

「けがで試合に出れない期間もあったが、満足のいくサッカー人生だった」(アモロさん)

アモロさんが納得するのは、サッカーを通じて多くの人を勇気づけられたからだ。アモロさんは少し照れながら話す。

「友人や近所の人たち、私のファンたちは『あなたのようになりたい』と言ってくれる。自分のキャリアが他人に希望を与えられていると思うと嬉しい」

キベラスラムの高校で話をするアモロさん。自身のサッカーキャリアを伝えて、子どもたちのモチベーションを上げる(写真はアモロさん提供)

キベラスラムの高校で話をするアモロさん。自身のサッカーキャリアを伝えて、子どもたちのモチベーションを上げる(写真はアモロさん提供)

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