【闘うカレー活動家・保芦ヒロスケさん③】チェッターヒンを売ってミャンマーに寄付、「自由になるまで闘う!」

雨の中、都内でデモに参加する保芦ヒロスケさん。アウンサンスーチー氏が所属する国民民主連盟(NLD)の政党カラーである赤色のリボンを手首に巻く(保芦さん提供)雨の中、都内でデモに参加する保芦ヒロスケさん。アウンサンスーチー氏が所属する国民民主連盟(NLD)の政党カラーである赤色のリボンを手首に巻く(保芦さん提供)

2021年2月1日にクーデターを起こしたミャンマー国軍は、同年3月に入ってデモ隊に向けて水平射撃をし始めた。多くの一般市民が命を落とすことに。ミャンマー最大の都市ヤンゴンに残ってデモを続けていた料理研究家の保芦ヒロスケさん(52)もついに、日本への帰国を決意する。(連載の第1回第2回

命がけの帰国

「大丈夫か」

保芦さんは2021年4月17日、当時住んでいたヤンゴンのアパートのスタッフからメッセージを受け取った。国軍兵士がアパートにやってきて、保芦さんの部屋に入ったという。

保芦さんはその時、ダウンタウンの友人宅に泊まっていたため無事だった。だが国軍は保芦さんのパスポートのコピーをとっていったという。

デモ中になにか爆発したり、ミャンマー人と一緒に国軍兵士から逃げたりとこれまで危険な目にあってきた保芦さんだったが、標的になったのは初めてだ。

「デモに参加しても自分が拘束されるという現実味はあまりなかった。だけどこの時初めて、捕まるかもという恐怖を感じた」

保芦さんはすぐに、ある人物に相談をした。ミャンマーで活動するジャーナリストの北角裕樹さんだ。北角さんはクーデターの後も危険な場所に入って取材を続けていた。

「僕もそろそろやばいかも。やばいと思ったらすぐに逃げないといけないですよね」

北角さんの言葉は妙に説得力があった。実際、保芦さんの友人も拘束されたり、失踪していたのだ。捕まるのも時間の問題のように感じた。

その時間もあまりないことを次の日、実感する。北角さんが軍に拘束されたのだ。北角さんが夜、自宅にいるところを警察が押し入り、問答無用で連行していった。

「軍は俺のことを探している。アパートの場所も突き止められている。もう限界だ」

こう感じた保芦さんは日本への帰国を決意。すぐに準備を始めた。

まずは在ミャンマー日本大使館に電話をかけ、日本行きの飛行機を予約する。自宅にこっそり戻り、必要なものまとめると、ヤンゴンの高級ホテル「チャトリアムホテル」に移動。出発の日まで身を潜めることにした。

問題はフライト当日のホテルから空港までの移動だ。街には国軍が設置した検問所がたくさんある。もし携帯電話をチェックされ、デモの写真などが見つかったら直ちに拘束される。かといってこれまで撮ってきたものを消したくない。

そこで保芦さんはお土産用にコーヒーを大量に購入。その中に携帯電話を突っ込んだ。ホテルのスタッフにはダミーの携帯電話を2個用意してもらった。

フライト当日はホテルでハイヤーできる一番高級な車を準備。VIPとして検問所をスルーしようと保芦さんは考えた。

「チャトリアムホテルは国軍幹部も使うホテル。兵士もむやみに、そこの(そのホテルの名前が書いてある)車は止めないはず」

飛行機に乗るまでずっとドキドキしていた保芦さん。だが幸いチャトリアムホテルが用意した高級車は、軍の検問所をノーチェックで通過。空港でも止められることはなかった。

保芦さんを乗せた飛行機は2021年4月23日午前11時半ごろ、ヤンゴン国際空港を離陸した。保芦さんは安堵する一方、友人を残してミャンマーを離れるうしろめたさも感じていた。

ジャーナリストの北角裕樹さんと三本指を掲げる保芦さん(都内で撮影)。ヤンゴンで当時活動中だった北角さんは2021年4月にミャンマー国軍に拘束されたが1カ月後に解放、日本へ帰国した(保芦さん提供)

ジャーナリストの北角裕樹さんと三本指を掲げる保芦さん(都内で撮影)。ヤンゴンで当時活動中だった北角さんは2021年4月にミャンマー国軍に拘束されたが1カ月後に解放、日本へ帰国した(保芦さん提供)

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