【セネガルに魅せられて①】アパレルの売り上げから女性NGOに寄付する宮村暢子さん、きっかけは1冊の本

アパレルブランド「ゲヌ」を運営する宮村暢子さん(左)と、セネガルのティエスで女性支援を手がけるNGO「ラパラーブル」の代表を務めるキャディ・コイタさん(右)。2人をつないだのは、コイタさんが執筆した一冊の本だった(写真は宮村さん提供)アパレルブランド「ゲヌ」を運営する宮村暢子さん(左)と、セネガルのティエスで女性支援を手がけるNGO「ラパラーブル」の代表を務めるキャディ・コイタさん(右)。2人をつないだのは、コイタさんが執筆した一冊の本だった(写真は宮村さん提供)

初めてのセネガル渡航

神戸大学国際文化学部に進学した宮村さんは3年生だった2011年、短期ボランティアとして念願のセネガルに渡航した。そこで驚いたのがセネガル人のおもてなしの心だ。

友だちになったセネガル人は次から次へと宮村さんを家に招待し、セネガルの伝統料理で魚の煮汁で炊いたご飯「チェブジェン」などを振る舞ってくれた。道を歩いても、みんながあいさつをしたり、握手をしてくれた。

セネガルでは人をもてなすことを「テランガ」という。テランガは、セネガル人にとってアイデンティティのようなもの、と宮村さん。外国人でも優しく受け入れてくれるセネガルの文化を好きになった。

セネガル人はまた、客人だけでなく、すべての人に優しかった。セネガルの一般家庭を注意深く観察すると、料理の時は多めに作り、余った分をストリートチルドレンに分け与えていた。みんなで困った人を支えていたのだ。

宮村さんはセネガル人の優しさをこう分析する。

「セネガルの語源はウォロフ語の『スヌガール』。『私たちの船』という意味だ。みんなで助け合って川を渡るとの思いが込められている。セネガル人はみんな、1人では生きていけないことを知っている。だから日ごろから相手に優しく接している」

シェルターは完成間近

宮村さんはこの渡航で憧れの人にも会えた。「切除されて」の著者、コイタさんだ。コイタさんは首都ダカールから東に70キロメートル離れた街ティエスに宮村さんを招待すると、1週間も家に泊めてくれた。また食事も出してくれた。

宮村さんはこの時、建設中だった女性のシェルターも見せてもらった。ティエスでは当時、多くの女性がFGMや家庭内暴力、レイプで苦しんでいるにもかかわらず、彼女たちを保護するシェルターがなかった。コイタさんは資金を集め、被害にあった女性たちのためシェルターを建設していたのだ。

壁や床、屋根などシェルターのフレームは当時、すでに完成していた。2012年にはベルギーの学生たちがティエスを訪れ、シェルターに太陽光パネルを設置してくれた。あと数年で完成するとコイタさんも確信していた。続く

セネガルの友人と写真に映る宮村さん。飲んでいるのは西アフリカでポピュラーなお茶「アターヤ」(写真は本人提供)

セネガルの友人と写真に映る宮村さん。飲んでいるのは西アフリカでポピュラーなお茶「アターヤ」(写真は本人提供)

女性を保護するシェルターの前で写真に映る宮村さん。2009年に着工したシェルター。2011年にティエスを訪れた際は、建物のフレームは完成していた(写真は本人提供)

女性を保護するシェルターの前で写真に映る宮村さん。2009年に着工したシェルター。2011年にティエスを訪れた際は、建物のフレームは完成していた(写真は本人提供)

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