【チベット建築家・平子豊②】中国による再開発・ラサからの撤退・友人の死、「でも修復は諦めない」

ラサの街並みが一望できるポンボリ山に登って、タルチョと呼ばれる祈祷の旗を掲げた時の写真。平子さん(左)とチベット・ヘリテイジ・ファンドの創始者であるアンドレ・アレクサンダーさん(中央)、ピンピン・デ・アゼベードさん(右)。3人は深い友情で結ばれていた(写真は平子さん提供)ラサの街並みが一望できるポンボリ山に登って、タルチョと呼ばれる祈祷の旗を掲げた時の写真。平子さん(左)とチベット・ヘリテイジ・ファンドの創始者であるアンドレ・アレクサンダーさん(右)、ピンピン・デ・アゼベードさん(中央)。3人は深い友情で結ばれていた(写真は平子さん提供)

1998年に再び(2度目)チベットの古都ラサを訪れた平子豊さんが目にしたのは、中国共産党によるラサの再開発と、それを食い止めようとする2人の外国人が奮闘する姿だった。平子さんは2人の情熱に心を打たれ、彼らの活動に次第に協力していく。チベット建築家、平子豊さんの半生を追った連載の第2回。(1回目はこちら

チベット人の家が壊されていく

新疆ウイグル自治区のカシュガルから2700キロメートル(稚内から鹿児島までの距離とほぼ同じ)を移動して、1年半ぶりにラサにたどり着いた平子さん。この時、運命の人と出会う。のちに人生のパートナーとなるポルトガル人女性、ピンピン・デ・アゼベードさんだ。ピンピンさんは、ドイツ人の友人であるアンドレ・アレクサンダーさんと一緒に、ラサの歴史的建築物を保全する団体「チベット・ヘリテイジ・ファンド」の代表をしていた。

当時は中国政府が主導する再開発により、ラサの街並みは消失の危機に面していた。チベット・ヘリテイジ・ファンドは当時、ラサ市政府と掛け合い歴史的な建造物を取り壊すではなく、修復や保護をしていくよう提案していた。

ピンピンさんは家が取り壊される現場を平子さんに見せながらこう言った。

「古い家には人の記憶が宿っている。家と一緒にその思い出をなんとかして残したい」

2人に共鳴した平子さんは、次第にチベット・ヘリテイジ・ファンドの活動に協力するようになる。

東チベットのカム地方(四川省)にあるランタン・ドルマ・ラカンを修復する時に、チベット・ヘリテイジ・ファンドの職人と僧侶で一緒に撮った写真(平子さんは後列左から4番目)。チベット・ヘリテイジ・ファンドは最盛期に300人の職人を使っていた(写真は平子さん提供)

東チベットのカム地方(四川省)にあるランタン・ドルマ・ラカン(ランタン村にあるタラ菩薩を祀るお堂)を修復する時に、チベット・ヘリテイジ・ファンドの職人と僧侶で一緒に撮った写真(平子さんは後列左から4番目)。チベット・ヘリテイジ・ファンドは最盛期に300人の職人を使っていた(写真は平子さん提供)

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