ミャンマーに帰りたいけど帰れない、タイに逃れた“おっとりした普通の女の子”が抱える葛藤

タイ(メーソットに2年、チェンマイに3カ月)に来て2年3カ月経つシャロンさん。母との二人暮らし。「チェンマイでの日々はハッピーではない。だけどミャンマーにいると危険だから仕方なく来た」とうつむき加減で話す

わいろが払えない、最低賃金以下の仕事を転々

シャロンさんによると、タイに不法滞在するミャンマー人は毎月200バーツ(約900円)をタイ警察に払わないといけないという。NMFからのサポートが止まれば、それもできなくなる。「タイ警察に捕まって、ミャンマーへ送り返される」(シャロンさん)

シャロンさんは母と一緒に働き始めた。勤務先はトウガラシのヘタと軸をとる工場。ここでは50人ぐらいが働いていた。全員ミャンマー人だ。

そこで週4日、午後4時から夜中の2時まで働く。日当は300バーツ(約1300円)。タイの最低賃金は地域によって異なるが1日337~400バーツ(1500~1800円)だから、足元をかなり見られた金額だ。ただそれでも2人合わせて600バーツ(約2700円)の収入は親子にとっては助かった。

だが4カ月で辞めることに。理由は、夜中の帰り道でタイ警察に呼び止められて職務質問を受けるリスクがあるからだ。タイ語ができないと厄介だし、少しでも不安を減らしたかった。

その後に就いたのは、紙を折り、飛び出す絵本 (ポップアップブック)を作る仕事。出来高制だった。1日に4時間ぐらい働き、それを3日やると1人当たり200バーツ(約900円)を手にできる。割は悪かった。5カ月で辞めた。

語学学校でタイ語を学び始める!

シャロンさんはその後、一念発起してタイ語を学び始める。最初の3カ月は独学。テレグラム(LINEのようなメッセージアプリ)やユーチューブを使って、タイ文字の読み書きを学んだ。

その後に無料の語学学校に入学した。ここはタイの団体「ユース・コネクト・ファウンデーション」が運営するもので、生徒は全員、ミャンマー人だった。半分は軍事クーデター以降に逃れてきたミャンマー難民、残りの半分はタイにある難民キャンプで暮らすカレン族だったという。

月曜から土曜まで朝9時から夕方の4時まで授業はみっちりある。3カ月単位で「基礎」「上級」「職業訓練」とステップアップしていく仕組みだ。生徒は2つのグループに分かれ、合わせて数は100人ぐらいが学んでいた。

職業訓練でシャロンさんは「パン屋」を選んだ。パンの基礎的な焼き方から、カフェで出せる菓子パンの作り方まで学ぶ。1週間に500バーツ(約2200円)の手当ももらえたという。「ヤンゴンにいるときはパンを自分で焼いたこともなかったし、興味もなかった。実際にやってみたら意外と楽しかった」と顔をほころばせる。

この語学学校は無料だが、入学試験はあった。筆記はタイ文字の基礎的な読み書き、また面接ではタイ語で「どこから来ましたか」などと聞かれた。シャロンさんは事前にユーチューブでタイ語を勉強していたこともあり、入学試験をクリアした。

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