「ミャンマーに帰りたい」と穏やかに話すキャッティハンさん。束の間の息抜きは、ミャンマー料理屋が集まる屋台街メモリーズ・オブ・チェンマイで食事しながら、同胞と語ること。タイ・チェンマイの自宅で撮影両親に4万円を仕送り
国軍と戦いながらキャッティハンさんは常に、軍政に抵抗するため公立校の教師の仕事をボイコット(市民不服従運動=CDM)し続ける両親の生活をどう支えるかという問題に悩まされていた。2025年の2月、大きな決断をすることにする。PDFをいったん除隊し、タイへ出稼ぎに行くことだ。
日本円にしておよそ32万円を親からもらい、タイとの国境の町タチレイまでバスで行き、タイに7日間滞在できる「国境通過許可証」を得て、タイ側のメーサイに入った。PDFとして戦ってきたキャッティハンさんにとってミャンマー政府(軍政)にパスポートを発給してもらうことは不可能だった。
メーサイからチェンマイにやって来た。友人宅に5日間泊めさせてもらった後、自分でアパートを借りた。滞在許可証(ピンクカード)と労働許可証は翌月に取得できたという。4月30日に仕事を見つけた。
いまはチェンマイにあるミャンマーレストラン「AMM」の厨房で働く。豚肉入りのスープ「チャオー」をよく作るという。
キャッティハンさんを追いかけてやってきた恋人とチェンマイで一緒に暮らす。英語と韓国語が得意な恋人の仕事はホテルの受付。収入は2人合わせて2万5000バーツ(約12万3000円)だ。
2人が住むワンルームのアパートの家賃は1カ月3600バーツ(約1万7700円)。水道光熱費は180バーツ(約880円)かかるという。食事はもちろん自炊が基本だ。毎月6000~8000バーツ(2万9500~3万9300円)を捻出し、親に仕送りしている。
母は周りに「息子(キャッティハンさん)は死んだ」と言っている。その母とはしょっちゅうビデオ電話をするが、母はだれにも聞かれないようそのときはトイレにこもるという。
「いまはタイにいるけど、スピリットはミャンマーに置いてきた」。軍事クーデターが市民に突き付けた「国を救うか、家族を守るか」という究極の二択の狭間で生き抜いてきたキャッティハンさんが発するこの言葉の意味は重い。

ミャンマーからタイへは小さなバックパックひとつでやって来た。Tシャツ2枚、ズボン3つに加えて、「軍政への抵抗の証」としてPDFの戦闘服のズボンも詰め込んだ。上着は自分の名前が入っているため、万が一拘束された場合に危ないと判断し、置いてきた














