ミャンマー東部のカヤー州からタイ・チェンマイに逃げてきたヘンリーさん。「将来はもっと快適で稼げるオーストラリアや欧州に住みたい」と語る「ミャンマー国軍の爆撃機が飛ぶ音が聞こえたら、5秒後には爆弾が落ちてくる。全員急いで逃げるしかないんだ」。こう話すのは、ミャンマー東部の国内避難民(IDP)キャンプで英語を教えていたヘンリーさん(24歳、カヤー族)だ。ここはカヤー州の州都ロイコーから北西に約40キロメートル離れたペコン。こうした日々に耐えきれず、ヘンリーさんは2年前、タイのチェンマイに逃げてきた。
バスの中で40人が焼き殺される
ヘンリーさんは2018年に高校を卒業した後、心理学を学ぶためロイコー大学に進学。だが大学1年が終わったころ、2020年のコロナ禍で授業がなくなったため中退。故郷ペコンでマスクや手洗い洗剤を配布するボランティアをした。
ヘンリーさんはその後、シャン州のタウンジー大学に入り直した。故郷から車で約6時間離れたタウンジーに住みながらコミュニティ開発を学び始めた。
ところが翌年の2月1日、軍事クーデターが起きた。「人生は大きく変わった」とヘンリーさんは振り返る。
タウンジーでは国軍と民主派勢力が激しく対立していた。故郷ペコンに残した家族が心配で、「タウンジーからペコンまでの道のりを国軍がブロックする前に戻りたい」と考えた。実際、国軍の攻撃を受けて実家は破壊され、カトリックの神父がリーダーを務めるIDPキャンプで生活を送ることになる。ちなみにヘンリーさん一家はカトリックの信者だ。
ヘンリーさんはタウンジー大学も退学した。家族の悲惨な状況に加えて、軍事クーデターへ反対する意思表示としてボイコットする意味合い(市民不服従運動=CDM)もあった。
ペコンのIDPキャンプに家族とともに移り住んだ。その中にある仮設の学校で子どもたちに英語を教えることに。
「ご飯を食べたり、物を買ったりするには仕事をしなきゃいけない。そのためにはいまのうちに勉強しなきゃいけない。だから僕は子どもたちに英語を身につけてほしいと思った」。ヘンリーさんは熱い眼差しでこう語る。
空爆におびえながらの授業
国軍は毎日、IDPキャンプのどこかを空から攻撃していた。学校であっても容赦なく爆弾が落とされる。子どもたちや教師は安心して授業できない。空を飛ぶ爆撃機の音が授業中に聞こえると「5秒で爆弾が落ちてくる。子どもたちは慌てるし、また不安や恐怖にさいなまされる」(ヘンリーさん)。
しかし爆弾は彼らが逃げるのを待ってはくれない。ヘンリーさんは爆音が聞こえた瞬間、子どもたちに逃げる方向を冷静に指示し、掘ってある防空壕に避難させる。学校では日ごろから避難訓練を重ねていた。防空壕の中に入ったら、頭を守る体勢をとるよう教えていた。
IDPキャンプにはまた、国軍のスパイがいたという。「(スパイは)1人、2人、3人、友だち、親せきかもしれない」。スパイがいたから国軍は、人が集まる時間や場所を狙って空爆できたのだろう。














