ミャンマー国軍兵60人を殺した若きPDF司令官、「家族を犠牲にして母国の民主化に命を捧げてきた」

「ミャンマーに帰りたい」と穏やかに話すキャッティハンさん。束の間の息抜きは、ミャンマー料理屋が集まる屋台街メモリーズ・オブ・チェンマイで食事しながら、同胞と語ること。タイ・チェンマイの自宅で撮影

タイ北部のチェンマイに、民主派の武装勢力「国民防衛隊(PDF)」の司令官としてミャンマー中部のザガインでミャンマー国軍と戦ってきた若者がいる。キャッティハンさん、25歳。「僕は家族を犠牲にしてまで、母国の民主化のために戦ってきた。国軍の兵士を60人殺した」と淡々と語る。

親友が目の前で射殺された

ミャンマーで5年前(2021年2月1日)に軍事クーデターが起きたとき、キャッティハンさんはザガイン大学で動物学を専攻する2年生だった。一夜にして民主主義がひっくり返されたことに学生らは強く抗議し、路上でデモを繰り返す。キャッティハンさんもそうしたひとりだった。

ザガイン市だけでも連日、1万人規模の学生が集まったという。シールド(防弾板)で国軍兵が放つ銃弾から身を守り、工事用の黄色いヘルメットを被り、身元がバレないようマスクで顔を隠した。

同年の2月26日、デモに参加していた、キャッティハンさんの小学校からの親友が国軍のスナイパーに狙撃された。

「僕の目の前で急にバタンと倒れた。最初は何が起きたのかわからなかった。銃撃の音もしなかった。見ると、彼は頭から血を流している。殺されたんだ」。キャッティハンさんらデモの参加者は友人をその場に置き去りにして一目散に散らばった。

国軍の弾圧は日に日に激化していく。3月の半ばに入り、軍政に抵抗するデモは終わった。

キャッティハンさんは悩んだ。民主主義を取り戻すことは諦めたくない。親友の死も無駄にしたくなかった。

カチン独立軍に戦い方を学ぶ

そこで腹をくくったのが国軍と戦うことだ。キャッティハンさんは2023年に入って、総勢100人の学生らと一緒に、ミャンマー中央政府との戦闘経験が豊富なカチン族の武装勢力「カチン独立軍(KIA)」の拠点でPDFの兵士になるための軍事訓練を受けることにする。100人のうち2割は女子学生が占めたという。

場所はカチン州北部のプタオ。ヒマラヤのふもとに位置する、隔絶された秘境だ。

キャッティハンさんによると、KIAはイスラエル国軍の支援も受けている。KIAのナンバー2であるグンマウ少将は実際、イスラエルに行って戦闘の仕方を学んだ経歴をもつ。

KIAの軍事訓練では、最初の3カ月は銃の使い方などの基礎を叩き込み、その後の3カ月は「スナイパーになるコース」「爆弾を作るコース」「戦闘用ドローンの扱い方を学ぶコース」などに分かれる。キャッティハンさんはスナイパーになるコースを選んだ。

半年に及ぶ軍事訓練を終えたキャッティハンさんらは、戦闘に必要な銃を、カレン族の武装勢力「カレン民族同盟(KNU)」から手に入れようと、激戦地のひとつカレン州南部のチャインセイジーへと向かった。

買ったのはM16(フルサイズのライフル)とM4(少しコンパクトに改良したモデル)。1丁の値段は日本円にして約43万円。寄付で得たミャンマーチャットのモバイルマネーで払った。それを1人10丁担ぎ、ザガイン管区へ戻る。

チャインセイジーに滞在しているとき、戦闘に巻き込まれた。国軍がKNUの拠点を空爆し、キャッティハンさんのわずか3メートルほど先のところに100パウンド(約45キログラム)爆弾が落ちた。「運良く壁があったから、僕は死なずに済んだ」

ザガイン管区に戻ったキャッティハンさんらは、民主主義を奪った国軍と戦うためPDFの部隊を立ち上げた。KIAや、KIAの拠点であるカチン州ライザで立ち上がったアラカン族の武装組織「アラカン軍(AA)」に戦い方を教えてもらいながら、国軍との戦闘を始める。2024年1月のことだった。

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