【yahman! ジャマイカ協力隊(11)】「雨宿り文化」と「ポイ捨て」の共通項から考える、自然を大事にしないワケ

0410ヤーマン写真1青い海、白い砂浜が広がるウィニフレッド・ビーチ。ここはポートランド州で唯一の公的なビーチだ。休みの日になると、ジャマイカ人の家族連れだけでなく、多くの観光客が訪れる

青年海外協力隊員として私が活動するジャマイカ東部のポートランド州は、ブルーマウンテン山脈に囲まれている。いうまでもなく、ブルーマウンテンコーヒーの産地だ。

そんなポートランド州には「雨が毎日降る州」という別名がある。その名の通り、雨はここでは日常茶飯事。ここに住む人たちは雨に慣れている。なのに、雨が降ると、すべての活動を「いったん停止」するのがジャマイカ人の流儀だ。

■大事なミーティングも雨天欠席

私が活動するジャマイカのNGO「4-Hクラブ」ではある金曜日、年に1度の大イベント「アチーブメントデー」(NGOが提供するさまざまなトレーニングの成果を披露する競技大会)に向けた最後の重要なミーティングが予定されていた。学校教師らが参加し、イベント当日の確認事項がアナウンスされるはずだったが、当日は朝からあいにくの強い雨。午前10時から始まるミーティングに定刻通り現れたのはわずか1人だった。

時間を過ぎても、ほかに誰も来る気配がない。「11時までに来なかったら、今日のミーティングは中止にしよう」。議長を務めるディーン・ラミ氏(小学校教師)が、灰色の雨空を眺めながらつぶやいた。結局、その後誰も姿を見せず、ミーティングはキャンセルとなった。

日本では考えられない出来事に、私は唖然とした。日本人であれば、天候で交通機関の遅延が予想される場合、早めに出発するなどして約束の時間に間に合うように調整する。遅れる際は、一報を入れるのが常識だ。

ここでの主な交通手段は乗合タクシー(ルートタクシーといわれる)。だから電車と違い、どれぐらい遅れるかという予測は難しい。しかし、ジャマイカ人がミーティングに遅刻したり、来なかったりするのは「雨の中を苦労してまで出歩かない」という、ただそれだけの理由なのだ。

ジャマイカ人は、雨が降れば、雨宿りをして止むまで待つ。足元が悪い中を急ぐ必要はないと考える。雨は毎日降るのに、傘は持ち歩かない。

ある日曜日のこと。買い物帰りに雨が降ってきたので、私は傘を差し、家まで歩き続けていた。周りを見渡せば、歩いているのは私だけ。すると、奇妙に思ったのか、軒先で雨宿りをしていたジャマイカ人男性が私に声をかけてきた。

「ミス・チン(アジア人女性を表す呼称)! 雨が強くなってきたぞ! 濡れちまうからこっちに来いよ!」

ここジャマイカでは、雨が降り続けば、仕事は遅れる。仕事の進ちょくは天気次第となっている。

■自然は「守るもの」ではない?

私の住むポートアントニオ(ポートランド州)には高い建物も、朝まで消えないネオンの明かりもない。夜には北斗七星も、オリオン座も、どの星がどの星座を示すのかわからないほど、満天の星空が広がる。

眠らない東京の明るい空に慣れた私の瞳には、幾千ものダイヤモンドが輝く夜空は魅力的。夜、仕事が終わり洗濯物を干しながら、ふと空を見上げる。星のきれいさに私は感動する。雨が止んだ後、青々とした山にかかる虹にも目を奪われてしまう。

だが、感動する私とは対照的に、ジャマイカ人にとっては星空も、虹も当たり前の景色だ。わざわざ首をねじってまで星空は見上げないし、美しさにも気付かない。

こんなに素敵な自然があるのに、どうしてそれをじっくり観察しないのだろう。もしかして、自然への価値観が、ジャマイカ人と日本人ではまったく違うのかもしれない。そんな疑問が私の頭の中に浮かんでくる。

もっといえば、雨の中でも、時間通りに行動する日本人と、仕事に遅れるジャマイカ人。この差を別の言葉に言い換えると、次のようになる。

日本人は「天候のせいで人に迷惑をかけまいとする」が、ジャマイカ人は「抗えない自然の力には逆らうまいとする」。ただ、これは考えようによっては、ジャマイカ人の暮らしの方が、自然環境と調和しているといえる気がする。

だったら、どうして自然を汚す「ポイ捨て」がジャマイカでは減らないのだろう。バスに乗っていて、乗客が窓からプラスチックのごみを躊躇なく放り投げる姿を私は嫌になるぐらい何度も見てきた。

私の意見はこうだ。ジャマイカ人にとって、自然は守るべきものではなく、「そこにあるもの」。何十年、何百年も前から続いてきた、変わらない風景なのだ。ごみ収集システムが確立した日本から来た私がムッと顔をしかめてしまうポイ捨ての行為も、ジャマイカ人の良心はまったく痛まない。むしろ、ポイ捨ての何がいけないのかと思っていることだろう。

この大自然が失われ、当たり前だったものがそうでなくなったとき、ジャマイカ人は初めて、彼らがもつ宝物の美しさに気付くのではないか。しかしそれでは遅すぎる。

日本からボランティアとしてやってきた私が2年間をここで過ごし、ジャマイカ人と交流していく中で、ジャマイカの人たちに、気づきのきっかけを与えたいと思う。きっとそれは雨粒が集まって雨になるように、小さなことの積み重ねでしか成しえないことかもしれないけれど。(ジャマイカ=原彩子)