“べグカルチャーの国”ジャマイカ、自立心のなさは貧しさを解消しない?

0202吉松さんCIMG7904土産物屋で居眠り中のジャマイカ人

「100ジャマイカドル(約90円)くれ。ちゃんと返すから」「コーラを買ってきてよ」

ジャマイカの道を歩けば、こんな呼びかけはしょっちゅうだ。見ず知らずの人にお金や物をせびるなんて‥‥。ジャマイカに住み始めた当初、私はちょっと戸惑った。毎日聞いているうちに慣れてしまったが、いまだに慣れないことがひとつある。

私は青年海外協力隊員として、首都キングストンの大学で日本語を教えている。だが驚くなかれ、講義中の教室にも物乞いは現れるのだ。

「お願いだからお金をめぐんでください。3日前から何も食べていないんです」

教室の扉を突然開けた男性は、涙を流し、学生に助けを求めた。初めは学生も、教師である私も何も聞かなかったように授業を進める。ところが物乞いの話は止まらない。こうしたハプニングはこれまでに幾度もあった。

■金持ちが弱者を救うのは義務か

ジャマイカには、他人にお金や物をねだる「ベグカルチャー」(請う文化)がある。「返すからお金を貸してと言われても、絶対に返ってくることはないから」と新聞記者のジャマイカ人男性は断言する。

ジャマイカではなぜ、ベグカルチャーが浸透しているのか。その理由のひとつに宗教が大きく絡んでいる。

ジャマイカ人の6割はクリスチャンだ。聖書は、富のある者が弱者を救う精神の重要性を説く。この精神に従って、多くの企業家や著名人は実際、障がい者を支援する団体などに寄付している。

300年以上に及ぶ暗黒の奴隷時代を経て、自由を手にしたジャマイカ人は貧しさと闘い、富む者に物乞いをして命をつないできた。あるジャマイカ人いわく「時が経つにつれて、『富のある者は必ず弱者を救わなければならない』と弱者にとって都合の良い解釈が広がったのでは」。

私がジャマイカに住んで感じるのは、物乞いが本当にお金に困っているかどうか定かではないことだ。頻繁にたかられると、物乞いは“あいさつ”のような一種のコミュニケーションに思えてくる。

国際協力機構(JICA)ジャマイカ事務所のローカルスタッフ(ジャマイカ人女性)は、この文化を「依存症候群」だと言った。奴隷時代から、ジャマイカ人は主人に仕え、上から下へとお金や物が与えられてきた。「それが日常的な習慣となって、お金の有無にかかわらず、ジャマイカ人は他人に依存するようになった。ジャマイカ人の多くはもはや、物乞いという行為に恥じらいさえ感じていない」

■子どもの養育費より「美容代」

この習慣を後押しするのが、ジャマイカの政治事情だ。ジャマイカには2大政党がある。両党は選挙で票を獲得するために、貧しい人が住む地域にこぞって資金を投入し、インフラを整備し、各種施設を設置する。政治の面でも、ジャマイカ人は援助慣れしている。

私が気がかりなのは、ジャマイカ人が金銭の使い方に計画性をもっていないことだ。中流階級の人でも、お金が入ったら、すぐにローンで車を買う。だから「家賃や光熱費を引くと、明日からの食費がない。よし、誰かからお金を借りよう」という行動にいきつく。もっといえば、子どもの養育費より、自分の美容代にお金をかける母親もいる。「依存しない新しい世代をつくることが最も大切なこと」と、あるジャマイカ人女性は話す。

ベグカルカルチャーはジャマイカ文化のひとつだとしても、私はやはり、お金に対してシビアな接し方をしたい。お金をせびることは恥ずかしいことだととらえ、長期的な展望のもとで自立していく、という気持ちは重要ではないか。将来への投資を考える意識が広がれば、ジャマイカから少しずつ貧困層が減っていくかもしれないと思う。(ジャマイカ=吉松友美)