貧しくても人生は終わらない、ヤンゴンの孤児院経営者の葛藤

0828和田さんチェリー_ウィさん孤児院を経営するチェリー・ウィさん。子どもたちにはお母さんと慕われている

ミャンマー・ヤンゴン中心部から車で1時間半走らせたところにあるライン・タヤで、孤児院を夫と一緒に経営する39歳の女性チェリー・ウィさん。彼女の孤児院には、虐待を受けたり、両親を亡くして親戚にも拒絶されたりした4歳から22歳までの子ども43人が生活している。

チェリー・ウィさんのモットーは「貧しくても妥協せず、夢に向かって生きてほしい」。「子どもたちが自分の足で立てるようになるまで、この孤児院で面倒を見てやりたい」と彼女は言う。そうした考えから、進学ではなく働くことを希望する子どもたちに対しては、それらに必要なスキルを学べるようにしている。IT関係に勤めたいという20歳、22歳の最年長組には、ヤンゴン市内のパソコン教室で勉強させている。幼い子どもたちは「医者になりたい」「エンジニアになりたい」などとあとに続こうとしている。

この孤児院の名前は、ミャンマー語で「無限大の愛」という意味だ

この孤児院の名前は、ミャンマー語で「無限大の愛」という意味だ

だが、この孤児院をサステナブルに経営することは簡単なことではない。なぜなら資金の壁が立ちはだかっているからだ。1カ月の運営費は120万チャット(約12万円)。チェリー・ウィさんは、そのうちの50万チャット(約5万円)をコメや洗剤を売るビジネスで、30万チャット(約3万円)を夫の稼ぎで、残りの40万チャット(約4万円)を友人からの寄付金で賄う。

これに対して支出は、1日3食の食費だけでも73万チャット(約7万3000円)かかり、寄付金を除く収入(80万チャット=約8万円)の9割を超える。これはつまり、寄付が集まらなければ運営は成り立たないことを意味する。

「孤児院の立ち上げ当初は良かった。2008年にミャンマーを襲ったサイクロン『ナルギス』の被災者支援で入ったNGOが、キッチンなどの設備を援助してくれたから」と彼女は言う。ところがそれ以降は全く来ていない。

この孤児院は2006年、カチン州で続いていた政府軍とカチン独立軍(KIA)の内戦を受け、チェリー・ウィさんが2人の子どもを引き取ったことがきっかけで始まった。彼女は、中学校の校長先生を辞めて、自分のお金を使って、法律や子どもを保護する方法などを一から学んだ。10周年にあたる2016年、寄付金が集まれば、新たに施設を建てて、規模を拡大したい考えだ。

ある子どものロッカーに、学習道具があった。教科書とぎっしりと字が敷きつめられた何冊ものノート

ある子どものロッカーに、学習道具があった。教科書とぎっしりと字が敷きつめられた何冊ものノート