大型サイクロン・劣悪な工場労働・不正解雇‥‥度重なる逆境をはねのけ強く生きるミャンマー女性

DSCF4305ヤンゴン・ラインタヤ地区にある縫製工場のララエさん。ミャンマー女性らしい穏やかな表情は過去の逆境を微塵も感じさせない。ひらがなの壁紙で日本語を目下勉強中

ミャンマー・ヤンゴン中心部から北へ車で1時間ほどのところに位置するラインタヤ工業団地(ヤンゴン市ラインタヤ地区)。その近郊にある縫製工房で働く24歳のララエさんは1日に22~30個のハンドメイドバッグを制作する。販売先はミャンマーや日本。休日も縫製技術を磨くため服を作るなどとても精力的な女性で、将来は自身の店を開く夢をもつ。

希望に満ちて順風に見える彼女だが、その過去には今の彼女の姿からは想像もつかない苦労の連続があった。

ララエさんが家族とともに暮らしていたミャンマー南西部のエーヤワディー管区を2008年5月、超大型サイクロン「ナルギス」が襲った。スリランカ、インド、バングラデシュ、ミャンマーなどで合計13万人以上の死者・行方不明者を出すなど、ミャンマー史上最悪の傷跡を残した。

ララエさんの実家もその被害と無縁ではなかった。両親は当時、農業を営んでいたが、ナルギスにより農地は壊滅してしまう。生きるすべを失った一家はヤンゴンへ移住することとなり、彼女は家計を支えるためラインタヤにある縫製工場で働くこととなった。19歳だった。

ようやく得た工場での労働も、その環境は過酷だった。給与は月額17万チャット(約1万6000円)だったが昇給や賞与はなく、未払いがしばしば発生した。勤務時間は午前7時~午後7時だったものの、強圧的な上司の指示で休日にも強制的に勤務させられることも多かった。

その上、社員証を所持していないことがたった3回発覚しただけで解雇される、勤務開始時間への遅刻も3回を超えれば解雇される、勤務時間にはヘルメット着用を義務付けられるなど、勤務規則も厳しかった。

こうした過酷な労働環境に耐えかね、待遇改善を求めて彼女はストライキを打つ。その結果、工場側は月額給与1万5000チャット(約1400円)の増額に応じ、社員証の携行義務やヘルメット着用義務の撤廃に合意させることに成功。彼女はこの結果については満足していた。

しかしその喜びも束の間、工場側も黙ってはいなかった。ララエさんが再びストライキを起こすことのないよう、グループを作らせないことを狙って従業員に配置転換を命じるなど強硬手段に出た。さらに2013年12月、業務妨害をしたとの理由でララエさんらを解雇。それに追い打ちをかけるよう翌月にはララエさんを含む元従業員14人を提訴するという事態に至った。

裁判はいまだ係争中だが、度重なる苦難の連続にもくじけず強く生き続けるララエさんは、裁判結果について「楽観視している」と言う。

ララエさんは現在、同じラインタヤ地区にあり、ミャンマー労働組合総連合会(CTUM)の支援を得て作られた別の小さな縫製工房で働いている。そこでハンドメイドバッグを制作しているのは冒頭の通りだ。

エーヤワディー管区で再び農業を営んでいる両親には、3カ月ごとに10万チャット(約9000円)を仕送りしているララエさん。逆境に幾度も立ち向かう彼女の源は、家族への強い思いなのかもしれない。