フィリピン人は独裁者を許す!? 故マルコス氏の息子が副大統領選で支持率トップ

大統領選前で各候補のパレードが盛り上がる 写真はグレース・ポーのパレード

マルコス元大統領は政権をとっている間、戒厳令など強権的な政治を行っていたが、フィリピンの経済を成長させてくれた――。独裁者として有名なマルコス元大統領について、フィリピン・セブ市の路上で20~60代の15人にアンケート調査したところ、マルコス元大統領を評価していたのは約半数の7人にものぼった。1986年のピープルパワー革命から30年に当たる注目の選挙で、マルコス家復活の兆しが見えてきた。

■「息子のボンボンに投票する」

マルコス元大統領の息子、フェルディナンド・マルコス・ジュニア氏(通称ボンボン・マルコス氏)(58)は、5月9日に投票日を迎える副大統領選に立候補している(フィリピンは大統領選とは別に「副大統領選」がある)。3月上旬時点のいくつかの副大統領候補の支持率調査で首位に立つほどの人気ぶりだ。

マルコス政権時代をよく知る40代以上は、マルコス家に対してマイナスなイメージが強い。街頭インタビューで否定的な回答をした人は全員35歳以上。しかしその中にも「彼(マルコス父)は独裁者ではなかった。フィリピンに多く貢献してくれた。息子のボンボンにも投票する予定だ」(無職・56歳)と支持する人もいた。

故マルコス氏は、1965年から1986年までの20年以上にわたってフィリピン大統領を務めた。就任当初は「アジアのケネディ」と呼ばれるほど期待されていた。しかし1972年に戒厳令を布告した後は独裁色を強め、次第に腐敗も明るみになった。1983年の政敵だったベニグノ・アキノ氏(アキノ現大統領の父)暗殺事件以後、経済成長率は同年の2%から1984年にはマイナス7%へと急激に落ち込み、フィリピンは大混乱に陥った。マルコス元大統領の妻イメルダ氏の「1000足の靴コレクション」がマスメディアに大きく取り上げられ、ファーストレディの浪費癖が露わになったのは有名な話だ。

マルコス元大統領を追い出した1986年のピープルパワー革命後も、フィリピンの政界はマルコス派とアキノ派の2強が支配し、マルコス派の人気は根強い。その理由は主に3つある。

■国民の半分はマルコスを知らない

1つめの理由は、国民がマルコス元大統領の実績を認めていることだ。

インタビューに応じた26歳の銀行員は「マルコスはフィリピン経済を成長させた良きリーダーであり、優れたエコノミストだ」とコメントする。街頭インタビューに答えてくれた15人中5人が「マルコス政権の初期には経済が成長した」と話した。平均経済成長率は1960年代から1970年代にかけて1.8%から3.1%に伸びた。

フィリピンでは1950年代に国内産業の保護を優先させた結果、1960年代に入って国内市場が飽和したこと、都市と農村の格差が拡大したことなどによって経済は行き詰った。こうした問題に対応しようと1965年に誕生したマルコス政権は、輸出振興策と外国援助の導入を推進。「コメと道路」計画に象徴される開発政策を展開した。政策が奏功し、失業率は1966年から1971年までに7.2%から5.2%に下がった。

2つめは、マルコス政権の実態を知る人が少なくなっていることだ。

フィリピンでは、マルコス政権を知る40歳以上の人口は国民の約3分の1となった。当時の情勢を知る人は年々減少している。

若い世代の中には、マルコス元大統領が発令した戒厳令に触れず、「彼は経済政策で国を助けてくれた」(看護師・22歳)とプラスの評価のみをする声が少なくない。「マルコスについてあまり知らないから特に意見はない」(ハウスキーパー・34歳)と無関心な人もいた。

候補者演説の会場は多くの人とメディアが集まった(フィリピン・セブで撮影)

候補者演説の会場は多くの人とメディアが集まった(フィリピン・セブで撮影)

■優しい国民性が政治に影響?

3つめは国民の「許しの精神」が政界にも適用されることだ。

フィリピンはキリスト教徒が90%を占める。キリスト教の教えの影響か、許しの精神が国民に根付いている。政治問題にも寛容なフィリピン人は多い。

例えば、浪費家として悪名高い故マルコス氏の妻イメルダ氏はハワイ逃亡から5年後にフィリピンへの帰国を果たし、2010年には下院議員として政界に復活した。息子のボンボン氏も同年から上院議員を務める。また、マルコス派のジョセフ・エストラダ元大統領は2000年、任期(フィリピンの任期は6年)を半分残し、不正蓄財の汚職事件を理由に弾劾されたが、2013年にはマニラ市長に当選した。

「マルコス元大統領は独裁者だったが、重要なのは“今”だ。私たちは、歴史の一部である過去を忘れ、動かなければいけない」(看護師・28歳)との寛容な意見もあった。

フィリピンは世界・腐敗認識指数ランキング85位で世界平均以下だ。ピープルパワー革命後も政治汚職が続く。「許しの精神」が政治の腐敗、ひいてはマルコス家復権の温床を作り出しているかもしれない。