農民の健康を支えるのは誰だ、伝統医療の担い手「クル・クメール」がカンボジアの村から消えていく?

診療所で薬草の整理をしているジェク・ソムさん。薬を調合するための50種類以上の薬草が置かれていた(カンボジア・シェムリアップ郊外)診療所で薬草の整理をしているジェク・ソムさん。薬を調合するための50種類以上の薬草が置かれていた(カンボジア・シェムリアップ郊外)

伝統的なやり方で病気を治す「クル・クメール」と呼ばれる人がカンボジアにいる。病院が近くにない村やへき地の住民にとってクル・クメールは、健康相談ができて、しかも薬ももらえる利便性の高い存在だ。そのクル・クメールがカンボジアの村から消えつつある。最大の理由は、住民のために安い値段で伝統的な薬を提供することが、クル・クメール自身の収入を低くさせていることだ。

クル・クメールとは、カンボジア語で「クル(Ker)」は「先生」、「クメール(Khmer)」は「カンボジア(人)」を意味する。カンボジアではクメール・ルージュ(ポル・ポト派)が支配した1975~1979年、近代的な医療スキルをもっていた医者をはじめ、多くの知識人が虐殺された。保健省のデータによると、カンボジアには当時487人の医者がいたが、生き延びれたのはたったの43人。そんな暗黒の時代に、農民の医療を一手に担ったのがクル・クメールだった。

ジェク・ソムさん(77)は長年にわたって、カンボジア北部のシェムリアップの郊外にあるステン村の医療をクル・クメールとして支え続けた人だ。ジェクさんは幼いころから、クル・クメールだった父と祖父を手伝い、13歳になって薬の原材料の収集や調合をするように。薬として使える植物の知識をもっていたため、クル・クメールになることは自然の流れだった、とジェクさんは言う。

ジェクさんがステン村にいることで、住民は気軽に医療にかかることが可能だ。住民の多くは腹痛や頭痛、せき、発熱、動悸、息苦しさなどを感じた時、軽い場合はジェクさんの診療所に歩いていく。ジェクさんはそこで患者を診察し、薬を渡す。症状が落ち着くまで休むこともできる。重症の場合は、ジェクさんに来てもらう。

村人の生活に欠かせないクル・クメールだが、問題は、ステン村にはジェクさんの仕事を引き継ぐ人がいないことだ。クル・クメールの技術は基本的に親から子へと引き継ぐ。だがジェクさんは、自分の子どもが後を継ぐことを望んでいない。その理由は、収入が不安定で、一家を養えないからだ。農村で暮らすクル・クメールの収入源は、住民が買う薬代などだが、腹痛に効く薬の値段は1袋わずか5000リエル(約130円)。1日に訪れる患者の数も5~6人と多くない。雨が降れば客足はさらに鈍る。

「薬の値段は住民のために上げない」とジェクさんは言い切る。なぜなら、薬の値段が安いことが住民にとって必要なことだからだ。ジェクさんが売るいくつかの薬は、実は伝統医薬品メーカーも粉薬として作っていて、近くのヘルスセンターが処方する。だが粉薬は、ジェクさんが出すものよりも2倍以上高いという。高血圧やタバコが原因の肺の病気をもつ患者にとっては、定期的に薬を買う費用の負担は大きい。ヘルスセンターの医者もそれを知っているため、ジェクさんが調合できる薬は、ジェクさんから買うよう住民に勧めているのが現状だ。

ジェクさんが後継者を作らなければ、地域医療の担い手を失うことになるステン村。クル・クメールの存在は、単に伝統医薬品が廃れていくだけではなく、カンボジアの地域医療の崩壊を意味するといえるかもしれない。

腹痛に効く薬を作るために8種類の木の幹を削り、煮詰めやすく加工したものをパックにして売る。1パックで2回分の薬となる

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