カンボジア人が憧れるタイへの出稼ぎ! 「高収入」と「地雷による死」が隣り合わせという現実

カンボジア・シェムリアップにあるフィジカル・リハビリテーション・センターで義足を取り換えに来ていたマー・シチャンさん。2番目の子どもとなる女児が最近生まれたと嬉しそうだカンボジア・シェムリアップにあるフィジカル・リハビリテーション・センターで義足を取り換えに来ていたマー・シチャンさん。2番目の子どもとなる女児が最近生まれたと嬉しそうだ

農村で暮らすカンボジア人にとって、タイへの出稼ぎは夢だ。問題なのは、地雷原を歩いて不法に国境を越える際に地雷を踏み、足を失う人もいること。タイ側のさとうきび畑で不法に働くマー・シチャンさん(38)もそのひとり。「片足を失くしたことで、低賃金の仕事しかできなくなった。でもカンボジアで働いていても家族を養えない」と地雷による経済的ダメージを嘆く。

■一時は“高給取り”に

ポル・ポト政権が倒れた直後の1980年、マーさんはカンボジア中部のコンポントム州で生まれた。貧しさゆえに小学校すら親に入れてもらえなかったという。「大人になって就ける仕事は、スキルを必要としない単純労働か、収入が低い農作業に限られていた。タイへの出稼ぎしか稼ぐ方法がなかった。昔から憧れていた」(マーさん)

18歳の時(1998年)、ついに念願が叶う。バンコクの近隣にあるマーケットで物売りとして働き始める。当時のバンコクの最低賃金は1日162バーツ(現在のレートで約560円)だったが、その3倍の500バーツ(同約1720円)稼いでいた。農村出身のマーさんにとっては夢に見る高給取り。満足した暮らしを送っていた。

出稼ぎを始めてから1年が経ったころ、カンボジアへ里帰りした。バンコクへ戻る途中、カンボジア側の国境で地雷を踏んだ。「バーン」。瞬時に、左足を失った。「何度も国境越えしていたので、大丈夫だと思っていた。何が起きたのかすぐには分からなかった」。マーさんは病院に運ばれ一命を取り留めた。しかし彼と一緒だった出稼ぎ仲間の3人は即死だった。

1960年以降に埋められた地雷はいまだに多くタイとカンボジアの国境付近に残る。カンボジア政府の2015年時点の発表によると、地雷汚染地の面積は1640平方キロメートル。これは東京都の4分の3の広さに相当する。すべての地雷の除去にはあと10年かかるといわれる。

■「カンボジアで農作業するよりマシ」

左足を失ったマーさんは、バンコク近郊の仕事を失った。バンコク周辺でのタイ政府によるパスポートを所持しない労働者に対する取り締まりが厳しくなったのだ。

マーさんは現在、国境付近のタイ側のさとうきび畑で働く。給料はタイの最低賃金の1日300バーツ(現在のレートで約1030円)。20年前の仕事から6割も減った。「だけどカンボジアで農作業するよりもマシ。でも子ども2人を養うには十分じゃない。毎日切り詰めて貯金しているよ」

■息子には「合法」でタイで働いてほしい

マーさんは今も不法にタイで働き続ける。しかし不法労働をしていたから地雷に被害に遭ったと考え、後悔している。「将来は子どもたちに良い教育を受けさせ、パスポートを正式に取ってタイで働かせたい。僕のように不法にタイへ入国し、危険な目には遭ってほしくないから」

タイで合計20年にわたって出稼ぎをするマーさんだが、カンボジアで家族一緒に住みたい、というのが本音だ。「子どもをカンボジアの学校にも行かせたい。僕たちはカンボジア人なんだから。クメール語も、文化も、ちゃんと教えたい」

タイで生まれた子どもたちは、タイの学校に通う。母国語であるクメール(カンボジア)語も覚えてほしいというマーさんの願いもあって、家庭ではクメール語を話すという。マーさんがカンボジアに家族と訪れることができたのは、今まででクメール正月の一度きりだ。

農村出身のカンボジア人にとって、貧困から抜け出す方法のひとつが、タイでの出稼ぎ。クメール・タイムズの2018年6月20日付記事によると、タイへ出稼ぎに行ったカンボジア人の数は合法ベースで約42万人。これに加えて、不法の出稼ぎ労働者も数えきれないぐらいいる。その最大の理由は、カンボジアの賃金の低さにある。1カ月の最低賃金は縫製業で170ドル(約1万8900円)。これを単純に家族4人で割れば、1日当たり1.4ドル(約158円)。世界銀行が定める貧困ライン1.9ドル(約214円)を下回る。