「人殺しはもうこりごりだ!」 ポル・ポト派の残党と戦ったカンボジア人が僧侶になったワケ

カンボジア僧侶カンボジア・シェムリアップ州ノコー・クラー村のワット・テュマイで僧侶するティック・クーさん(2018年3月31日撮影)

カンボジア・シェムリアップ州にある農村出身のティック・クーさん(57)は、ポル・ポト派の残党と戦った兵士だった。たくさんの人を殺してきた彼は、これからは人間として良いことをしたい、と政府軍兵士を1996年にやめる。2009年からは、地元の村に近いノコー・クラー村の「ワット(寺)・テュマイ」で僧侶に。「5年前にここで勉強していた子どもたちが、高校を卒業して自立した。彼らは今でも感謝を伝えにお寺に来てくれる。それがとても嬉しい」と話す。

シェムリアップ市の繁華街から車で約40分のところにあるノコー・クラー村。この村の中心部にあるワット・テュマイの僧侶のひとりがティック・クーさんだ。生まれ育った家庭は、近くのブラサット・チャ村の農家。食事もままならなかったほど貧しかった。1970年代後半のポル・ポト政権時代、ティック・クーさんの母親は重病にかかる。「母親が重病だと伝えても、ポル・ポトはそれを冗談だとあしらって何もしなかった。治療費は当然払えず、母親はこの世を去ってしまった」(ティック・クーさん)

1979年にポル・ポト政権が倒れたあとも、ポル・ポト派の残党は国内中で抵抗を続けていた。この現実に憤慨したティック・クーさんは1981年、20歳で政府軍の兵士になる。「敵の兵士と出くわしても怖くなかった。市民たちを守りたい一心だったからね」。だが約15年戦い続けてきたティック・クーさんは兵士をやめる。「たくさんの人を殺してきたので、精神的に疲れてしまった。これからは良い人間として生きていこうと思った」

兵士をやめてから13年後の2009年、48歳だったティック・クーさんは、ワット・テュマイで人生初の出家をする。「とても幸せだった。良い僧侶になりたいと改めて思った」と当時の心情を語る。ほとんどの人たちは、最初の出家を終えて実家に帰ると飲酒などの世俗の生活に戻ってしまうため、2回目の出家までに時間がかかる。だが、良い僧侶になろうと決心していたティック・クーさんは翌2010年、2回目の出家をした。

ワット・テュマイには2013年、1日1食分ほどのお金をもらうために15人ほどの中高生らが床掃除や料理などの奉公をしていた。中高生らに僧侶たちは良い人間になるための道徳を教えた。高校を卒業して就職先も決まった高校生らは、今でも寺に立ち寄ってはティック・クーさんに感謝の意を伝えるという。「昔かわいがっていた子どもたちと会えるのは本当に幸せだ」。母親の死、憎かったポル・ポト派の残党との戦いを経て、ティック・クーさんがつかんだ幸せは「道徳の中」にあったといえるかもしれない。

1980年代に建てられたワット・テュマイ。壁には僧侶たちが描いた仏教絵画がある(2018年3月30日撮影)

1980年代に建てられたワット・テュマイ。壁には僧侶たちが描いた仏教絵画がある(2018年3月30日撮影)