タイ北部・アカ族の文化を絶えさせるな! 子ども寮のルールは「タイ語禁止」

ブランコで遊ぶアカ族の子どもたち(タイ・チェンライ県で撮影)ブランコで遊ぶアカ族の子どもたち(タイ・チェンライ県で撮影)

タイ、ミャンマー、ラオスの国境地帯で暮らす山岳民族「アカ族」の間で今、自らの文化を守る動きが広がっている。アカ族出身のタイ人、アリヤ・ワタナウィチャイクルさん(49)は、親元を離れてタイの公立校で勉強するアカ族の子どもたちのために寮を開設。そこでアカ語やお祭りといったアカ族独自の文化を教えている。「子どもたちには自分がアカ族であることを誇りに思ってほしい」とアリヤさんは語る。

■アカ語の文字を作る!

タイ北部のチェンライ市から車で2時間。ドイチャーン山の中にアリヤさんが運営する子ども寮「夢の家」がある。ここでは20人前後のアカ族の子どもたちが共同生活する。アカ族はチェンライ県に多く住む山岳民族のひとつで、国境の山々に集落を形成して生活している。山岳の村々から公立の学校は遠く離れている。そこで子どもたちは授業のある時期は、寮で寝泊りしながら学校に通い、長期の休みになると村々に帰っていく。

子ども寮でアリヤさんが最も力を入れるのはアカ語の継承だ。子どもたちはタイの普通の学校で学ぶため、授業で使うのはタイ語。親から教わる以外にアカ語を覚える機会はない。アカ語よりもタイ語の方がうまいアカ族の子どもも多くいる。

寮ではアカ語を話すのがルールだ。タイ語は原則禁止。わからない単語があればアリヤさんが教える。子ども同士がアカ語で話すことで習得も速まり、アカ族としての連帯も強まるというのがアリヤさんの狙いだ。

アリヤさんはまた、アカ語の文字を作る活動にも力を入れる。アカ語にはもともと文字がない。読み書きが必要となる場合は必然的にタイ語を使う。アリヤさんらは、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナム、中国の5カ国に住むアカ族と連絡を取り合い、細かな言葉の違いを修正。それにローマ字を当てる活動をしている。文字を普及できれば、アカ語の使用頻度も増える、とアリヤさんは期待する。

■すべての先祖の名前を暗記

アリヤさんが後世に残したいのはアカ語だけではない。アカ族の文化もそうだ。そのひとつがブランコ祭り。ブランコ祭りはもともと、田植えが終わって一段落つく8月に、働き者の女性が気晴らし目的でブランコを作ることから始まった。3メートルにもなる木を組みあわせ、鎖を上から吊るす。子どもたちは刺繍の入ったアカ族伝統の衣装をまとい、ブランコで遊ぶ。

先祖の名前を記憶するのもアカ族の文化だ。自分のすべての先祖を覚え、7親等以内での結婚を防ぐという。子どもたちは親元に帰った時、先祖の名前を親から教えてもらい、暗記する。

面白いのは、アカ族の子どもの名前が、父の名前の最後の音から始まることだ。アリヤさんのお父さんの名前は「アム」、そしてアリヤさんのアカネームは「ムジョン」。初代の名前から自分の名前までしりとりのようにつながっていて、覚えやすい。文字をもたないアカ族の知恵だ。アリヤさんによると、アカ族には2500年の歴史がある。アリヤさんは53代目というから先祖の名前を覚えるのも一苦労だ。

■便利さにはお金がかかる

アカ族はもともと、集落ごとに農業を中心とする自給自足の暮らしをしていた。みんなで田植えや稲刈りをし、収穫はみんなで分ける。服の仕立てや、家を建てるといった作業もシェアしていた。お金を介さない社会的資本の高いコミュニティーだった。

ところが30年ほど前にドイチャーンとチェンライの街をつなぐ道ができた。電気も通った。教育や医療を受けられるようになり、進学する人も増えたという。生活レベルが上がった半面、そのサービスを享受するためにはお金が必要となった。

暮らしは一変する。季節に応じて必要な分だけ作る自給自足的な農業から、コーヒーや果物などの商品作物を栽培し始めた。助け合いの習慣は薄れ、金銭トラブルも増えた。昔は話し合いで解決できたことが、今やタイの法律に頼らないといけなくない。村を出ていく若者も多い。

アリヤさんは言う。「私たちは便利さを知ってしまった。もう後戻りはできない。でも子どもたちには、アカ族のアイデンティティーは持ち続けてほしい」

アリヤさん(右)とアカ族の少女(左)

アリヤさん(右)とアカ族の少女(左)