避難所はもとは牛小屋だった
「さて、そろそろ携帯電話をしまおうか」
ジェームスが私にこう言った。もうすぐ検問所に到着する。私たちはビニールシートや薬といった緊急物資を届けに来たNGO関係者。それで検問所を押し切ろうという作戦だ。
「俺が全部対応するから。TKは笑顔で『サワディーカップ(タイ語で「こんにちは」)』って言っといて」
ジェームスはこう言って笑う。だが果たして無事に通過できるのか。NGO関係者のふりをしろといっても、どう振る舞えばいいのかわからない。そもそもタイ語もビルマ語も話せない。不安が頭をよぎる中、トラックは検問所の前で停止した。
「お前たちは誰だ。何しに行くんだ?」
国境警備隊だろうか。迷彩服に黒いマスク、銃を首から下げたタイの兵士2人がトラックの窓越しに質問する。私の作り笑顔がひきつる。
「BEFのスタッフです。薬を届けに来ました」
ジェームスはこう言って、薬の袋を見せた。すると兵士は後部座席のドアを開け、車内をチェックしだした。薬やビニールシートを確認すると、次にカバンに手を伸ばした。
「まずい、私のカバンの中には一眼レフのカメラが入っている。見つかったらアウト。メーコーケンに行けないどころか、最悪、強制帰国になるかも」
心臓がバクバク鳴る中、兵士はジェームスのカバンの中だけをチェックし、トラックのドアを閉めた。2人の兵士は一言二言、言葉を交わし、通過の許可を出した。私たちは「カップンカップ(ありがとう)」と手を合わせ、検問を通過した。
「TK、やばかったなー。ビビっただろ。ハハハー」
こうふざけるジェームス。この男は正気か。私が捕まっていたら、BEFで働くジェームスもまずかったんじゃないか。そんな心配をよそに、ジェームスは笑いながら快調にトラックを飛ばす。
数分後、メーコーケンの避難所に着いた。入口にいた兵士に目であいさつし、中へ入る。
だがそこには人はほとんどいなかった。奥のほうに、片づけをしている男たちが何人かいるだけ。ジェームスの言うように、ほとんどの難民はすでにミャンマー側に戻ってしまったようだ。
メーコーケンの避難所はもともと酪農場だった。空爆で4000~5000人がここに押し寄せたため、タイ政府がこの酪農場を借り上げ、簡易の避難所としたのだ。
元酪農場というだけあって、向こうに牛小屋のような屋根だけの建物が3、4つ見える。手前には20個ほどの簡易トイレが置かれていた。ジェームスは小屋を指差して言った。
「難民はあの小屋の中で雑魚寝していた。家に帰れるかわからず不安の中、プライバシーもなにもない生活だ」
レイケイコーの近くに住んでいただけで、空爆にあい、家を追われた人々。ミャンマー側に戻った今も空爆の危険から元の家に帰ることができず、泣く泣く川の岸でテントを張って生活をしている。彼らが不憫でならない。私とジェームスはトラックの中でしばらく沈黙した。
ほんとはこの避難所からすぐ近くの川岸に行って、薬とビニールシートを置いてくる予定だった。だが薬が欲しいと言っていた女性からジェームスへ返信はなかった。これでは今日、彼女に物資を手渡すのは難しい。
「薬とビニールシートは後日、俺がまたここに持ってくるよ。今日はそろそろ帰ろう」
ジェームスは私にこう声をかけた。結局、私は難民に会うことができないまま、メーコーケンを後にした。
ミャンマーのカジノに行くタイ人
メーソットに帰る車中、難民に会えずに落胆する私をよそにジェームスは陽気に鼻歌を歌っていた。
「TK、仕方がないよ。実際、俺たちも物資を届けているが難民と話をしちゃだめなんだ。じっくり話を聞きたいんだったら、ミャンマーからメーソット市内に不法入国しているミャンマー人にコンタクトをとったほうがいい」
ジェームスはこう提案した。
「メーソット市内にはそんなに不法滞在のミャンマー人がいるのか」
私がこう尋ねると、ジェームスはこう答えた。
「いっぱいいるさ。正確な人数はわからないが、数千人はいるんじゃないかな。そっちのほうがメーコーケンに行くよりよっぽど安全だぜ」
逃げてきたミャンマー人がメーソット市内にそんなにいるとは。灯台下暗しとはこのこと。私はブワイに連絡し、誰か知っていたらアポを取ってくれないかと依頼した。
トラックは行きとルートを変え、ミャンマーとタイを隔てるモエイ川に沿ってメーソット市内に向かっていた。メーコーケンの検問所で緊張したのか、すっかり気が抜けていた私は何となく外の風景を写真に撮っていた。
すると銃を抱えた兵士らしき男がトラックの前方に見えた。
「TK、やばい。カメラを隠せ」
私は慌ててカメラをカバンに押し込み、トラックが兵士を通過するまで平静を装った。兵士を通過後、私はジェームスに尋ねた。
「なんでこんなところに兵士がいるんだ。国境警備のためか」
するとジェームスはこう答えた。
「違う違う。ほら、あれを見てみろ」
ジェームスが指差したのはミャンマー側の川岸。そこには、田園風景とは似つかわしくないホテルのような建物が建っていた。
「あれはミャンマー側に建てられたカジノさ。あの兵士はカジノにつながる道を警備していたのさ」
私はすぐさま質問した。
「カジノといっても、国境は今閉鎖されている。こんな時にミャンマーに行ってギャンブルなんかできるのか」
するとジェームスは笑いながらこう言った。
「コロナだろうが、国境閉鎖だろうが、4000バーツ(約1万4600円)払えれば誰でも国境を渡ってカジノでギャンブルできる。金持ちのタイ人はみんな行ってるぜ」
地獄の沙汰も金次第とはこのことか。このお金がどこに行くのか正確にはわからないが、国境を取り巻く権力者たちのポケットの中に消えていくのだろう。空爆で命からがらタイに逃れてきたのに、ミャンマーに追い返され、仕方なく川岸で野宿生活を送る難民たち。片や、4000バーツ(約1万4600円)を払ってギャンブルのために国境を自由に越えるタイの金持ち。
難民が集まる国境も金の論理で回っているのを目の当たりにし、やるせない気持ちになった。(続く)