【ルポ・ミャンマーからの逃亡者を追う③】「日本は中国と変わらない」と言われ私は黙るしかなかった

タイ・メーソットで取材に応じてくれた若手活動家のH。ヤンゴンで生まれ育ったが、ミャンマーで軍事クーデターが起きる少し前まではシンガポールでエンジニアとして働いていたタイ・メーソットで取材に応じてくれた若手活動家のH。ヤンゴンで生まれ育ったが、ミャンマーで軍事クーデターが起きる少し前まではシンガポールでエンジニアとして働いていた

ミャンマーで軍事クーデターが起きた2021年2月以降、数千人のミャンマー人がタイに違法で入国しました。彼らがひっそりと身を潜めるのが、タイ側の国境の町メーソット。ganas記者がこのメーソットに入り、ミャンマー人に取材した「ルポ・ミャンマーからの逃亡者」の第3回をお届けします。これまでのストーリーはこちら(第1回第2回)。

エリート中のエリート

きれいなテーブルとイス。寒いくらいに効いたエアコン。そして甘ったるいチャータイイェン(タイ式アイスミルクティー)。

ここは、メーソット市内から南に少し下ったところにあるおしゃれなカフェ。私はブワイ(カレン人のフィクサーで今回の取材の協力者)と一緒にチャータイイェンを飲んでいた。ブワイがここで取材に協力してくれるミャンマー人活動家を紹介してくれることになっていたのだ。

「(メーソットに潜伏するミャンマー人は)いっぱいいる。数千人はいるんじゃないかな」

タイに逃れてきたミャンマー難民を支援する団体「ボーダー・エマージェンシー・ファンド」のジェームス(チン族のミャンマー人)の言葉を思い返す。

ミャンマー・タイ間の国境が閉鎖された今、ミャンマーからタイに入るのは簡単ではない。タイ政府は2021年5月、クーデター後にタイに避難するミャンマー人を難民とは認定せず、「アンドキュメンテッド(ステータスを証明する書類を持たない)な違法移民」と断定した。さらに彼らが入ってこないよう国境となっているモエイ川の警備を強化したのだ。ミャンマー国軍が12月にミャンマー側の町レイケイコーを空爆した時、多くの難民がタイに逃げてきたが、タイ政府は彼らを2カ月もしないうちにミャンマー側に追い返した。

それでも数千人のミャンマー人がクーデター以降、こっそり国境を渡ってメーソットに身を隠している。彼らはいったいどんな人たちなのか。どうやってメーソットに入ってきたのか。私はブワイに聞いてみた。

「ははは。その質問は僕にするより今から会う人にした方がいいよ」

ブワイは不敵な笑みを浮かべて教えてくれない。ブワイは親切な青年だが、たまにこうやってもったいぶる愛嬌も持ち合わせている。私は仕方なく甘いチャータイイェンを飲みながら、取材するミャンマー人を待った。

15分経ったころ、襟付きのグレーのシャツにスラックス姿の青年が現れた。名前をHという。髪を刈り上げ、眉毛がきれいに整えられている。シックな眼鏡が彼のインテリジェンスを引き立てている。彼が今回話をしてくれるミャンマー人だ。

「国軍の弾圧から逃れてきた人」という経緯から、私は勝手にイラクやシリア、ベネズエラで見るような着の身着のまま逃げてきた人をイメージしていた。だがHはそれとは全く違う。小綺麗でさっぱり。余裕すら感じる。

無精ひげに短パン、サンダルの自分の方がよっぽど汚い。私は手の汗を拭き、彼と笑顔で握手をした。

「遅くなってごめん。乗ってたバイクが途中で止まっちゃって」

流ちょうな英語で謝るH。その振る舞いは、デートで遅れてきたカレシのよう。スマートでさりげない。先進国の香りすら漂わせている。

「君は本当に逃げてきたミャンマー人なの?」

私は思わず聞いてしまった。するとHは笑いながらこう答えた。

「そうだよ。生まれも育ちもヤンゴンさ。ただクーデターが起きる少し前まではシンガポールでエンジニアとして働いていたけどね」

驚いた。Hはミャンマーでエリート中のエリートだった。

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