戦場からコロンビア屈指の観光地となった「コムナ13」の闇、トラウマにいまも苦しむ住民

コロンビア・メデジンのスラム「コムナ13」で活動する、「自立する女性の会」(AMI)の代表を務めるマリア・モスケーリャ・ロンドーニョさん。現在は、生活支援、学習支援、心理カウンセラーの協力を受けて心の病気を癒す支援に取り組む。また自身が収監された経験から、受刑者にシャンプーやせっけんなどの衛生用品や衣類を届けるなど、刑務所の環境を改善する活動も手がけるコロンビア・メデジンのスラム「コムナ13」で活動する、「自立する女性の会」(AMI)の代表を務めるマリア・モスケーリャ・ロンドーニョさん。現在は、生活支援、学習支援、心理カウンセラーの協力を受けて心の病気を癒す支援に取り組む。また自身が収監された経験から、受刑者にシャンプーやせっけんなどの衛生用品や衣類を届けるなど、刑務所の環境を改善する活動も手がける

コロンビア第2の都市メデジンにある「コムナ13」(13区)は、グラフィティをウリに海外からの観光客の間でも人気の場所だ。だが華やかな一面とは裏腹に、多くの住民はいまだに、コロンビア政府が21年前にこの地で実行した「ゲリラ掃討作戦」の影響からトラウマに苦しむ。コムナ13は表からは見えない深い闇に包まれている。

オリオン作戦の犠牲者は190人‥‥

ゲリラ掃討作戦とは、当時のウリベ大統領が2002年10月にコムナ13で実施した「オリオン作戦」のこと。コロンビアで起きた史上最悪の市街戦といわれる。

オリオン作戦では、1200人以上の国軍兵士や右派ゲリラ(パラミリタレス)がコムナ13に侵入し、コロンビア革命軍(FARC)や民族解放軍(ELN)などの左派ゲリラと銃撃戦を展開。その結果、死者およそ90人、行方不明者およそ100人、恣意的な逮捕者数百人を出したとされる。左派ゲリラとは無関係の住民も多く殺された。

オリオン作戦からおよそ1カ月後の2002年11月12日、「窃盗」の容疑で逮捕されたのが、子どもや女性を支援する「自立する女性の会」(AMI)の代表を務めるモスケーラ・ロンドーニョさん(69歳)だ。「無実の罪だった」と憤る。

AMIは1997年から、食料や生活必需品をスラムであるコムナ13の住民に配っていた。オリオン作戦のときにそれを知った国軍・警察は「AMIは左派ゲリラに加担している」と言いがかりをつけてきたという。

男性警官に裸を見られる

捕まったモスケーラ・ロンドーニョさんはまず、留置所で5日間拘束された。窃盗罪が確定してからは女性刑務所に5日間入れられた。「刑務所にいるのは死と同じだった」とモスケーラ・ロンドーニョさんは10日間を振り返る。

留置所での生活は恐怖との戦いだった。

「拘留中は恐怖で眠れなかった。2カ所の留置所を行き来させられ、移動のたびに殺されると思った。生きた心地がしなかった」(モスケーラ・ロンドーニョさん)

寝床の広さは2畳ほど。部屋には毛布が1枚のみ。とても寝られるような環境ではなく、毎晩おびえながら夜明けを待った。

暴力もあった。同じように拘留されていた国軍やパラミリタレス(右派ゲリラ)の兵士から手錠を掛けられたり、突き飛ばされたりした。

女性刑務所に移されてからもひどかった。「人権がなかった」とモスケーラ・ロンドーニョさんは言う。

シャワー室はあったが、男性の警官が女性の裸を見られる状態で見張っていた。「女性としての尊厳を踏みにじられているように感じた」(モスケーラ・ロンドーニョさん)

食事は病気になるほど不十分だった。1日3食出たが、量はわずか。常に空腹だった。ひとつの皿にジャガイモ、豆、トウモロコシ、まれに肉のかけらが少しずつ入っているだけ。お金がある人は刑務所内の売店で食べ物を買えたが、彼女は無一文だった。

差別されることもあった。モスケーラ・ロンドーニョさんは「コムナ13出身という理由で、刑務所内の公共スペースで座ることも許されなかったし、嫌みも言われた」と話す。

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