コロンビア第2の都市メデジンにある「内戦博物館」のガイドを務めるフランシスコ・ホセ・アルバレスさん(75歳)。17年にわたり党員およそ5000人が虐殺された左派政党の「愛国同盟(ウニオン・パトリオティカ)」にかつて所属していた。アルバレスさんは虐殺を逃れた元党員であり、またコロンビアに700万人以上いるとされる国内避難民のひとりでもあった。「平和とは単に武器を捨てることではない」。アルバレスさんは愛国同盟の解散後も続く暴力と平和への思いをこう語る。(①はこちら)
■命からがらメデジンに逃げてきた
アルバレスさんが愛国同盟に入党したのは43歳のときだ。51歳のときにメデジンの北に位置するウラバ地域の代表に昇進。ウラバでは2年半活動し、党員をリクルートしていたという。
ウラバ代表の座を降りた後の1996年、アルバレスさんは愛国同盟の地方サポーターとしてカウカ県のナジャバジェ村に移住。愛国同盟の集会の運営や選挙キャンペーン活動に携わっていた。ところがそこで党員と村人に対する虐殺に巻き込まれる。
2001年、右派民兵組織のパラミリタレスがナジャバジェを襲撃した。ナジャバジェは先住民が多く住む村だった。「コロンビア革命軍(FARC)」や「民族解放軍(ELN)」といった左派ゲリラも出入りしていたという。FARCやELNは本来、先住民や農民など社会的に虐げられた層を守る警備隊のような役割を果たしていた。ナジャバジェはまた、コカインの原料であるコカの葉が採れるため、資金を得たいパラミリタレスやマフィアの標的にもなっていた。
「42人の村人が殺された。死体は、村の中心を通る大通りに放置された」とアルバレスさんは当時の生々しい様子を振り返る。アルバレスさんは家と財産7500万ペソ(現在のレートで約280万円)が奪われたという。「命からがらメデジンに逃げてきた」。アルバレスさんはこのとき、国内避難民になった。
メデジンに避難して16年経った2017年。アルバレスさんは、コロンビア政府から国内避難民に対する賠償金を受け取った。金額は1800万ペソ(約70万円)。「決して多い金額ではないがありがたい。このお金で田舎に土地を買った。買っただけでまだ何もしていないけれど、今後は家を建てたい」
コロンビア政府は2011年、国内避難民や除隊兵士に対して「犠牲者・土地返還法」を制定した。被害者に職業訓練プログラムを提供したり、内戦で奪われた土地を返還したりすることを打ち出している。
■虐殺は過去の話?
愛国同盟は2002年に解党した。しかし党員への暴力は、実は今も続く。アルバレスさんのかつての仲間アニバル・ガルシアさんは2016年、アンティオキア県のカイセド市でパラミリタレスに殺された。カイセドで労働組合の活動を続けていたガルシアさんはパラミリタレスに脅迫されたことから、メデジンに避難していた。数日後、カイセドの様子を確認しに戻った際に襲われた。アルバレスさんは「なぜ殺されたかはわからない。おそらくは愛国同盟の一員だったからだろう」と話す。
またパラミリタレスは2006年に解散したとされる。だがアルバレスさんは言う。「パラミリタレスは名前を変えて今も活動している。メディアにあまり出ないが、ゲリラや政治家をまだ殺している」
コロンビアのRCNラジオによると、コロンビアでは2016年に、社会運動のリーダー128人、政治運動家68人、社会運動家63人が殺された。国連人権理事会のコロンビア支部代表は、加害者の多くは元パラミリタレスとの見方を示す。
愛国同盟の解党から16年、アルバレスさんの心はいまも愛国同盟とともにあるという。「愛国同盟は私の中に生き続けている。今でも労働組合や農民運動に積極的に参加している。 結束することは社会の不平等や政府に働きかける力を作ることだ」とアルバレスさんは党に対する消えない思いを語る。
内戦博物館でガイドを務めるアルバレスさんは最後にこんなメッセージを残した。「悲劇を繰り返さないために最も重要なのは、内戦が起きた原因を知ること。平和とは健康、教育、そして平等な機会をみんなが享受できることだ」(おわり)