ganasサポーターズクラブ エッセーの会
  • 2020/08/15

無宗教でも多宗教でもない日本人は「宗教」を理解すべき

神社
*この記事は「ganasサポーターズクラブ」の「エッセーの会」に参加されているパートナー/サポーターの方の作品です

●日本人は「無」宗教じゃない

「日本人は無宗教じゃないよ」

私が高校3年生の時、倫理の授業でM先生がそう切り出した。ゆっくりと、教室がどよめく。

「先生、日本人の多くは決まった神様に縛られないから、無宗教なんじゃないですか?」

よく発言する男子生徒Aが、クラス30人の声を代弁するようにそう言った。全く同じ意見だった私も、心の中でうんうんと頷く。

「本当の無宗教だったら、神社やお寺で手を合わせられないし、クリスマスなんかの宗教行事も祝えないよ。『いただきます』や『ごちそうさま』も言えないかもしれない。先生は昔、無宗教に挑戦したことがあるけど、つらかったなあ…」

M先生の言葉に、場は騒然とした。

そう言われると、確かに日本人は「無」宗教じゃないかもしれない。ハロウィーン(10月31日・ケルト民族/キリスト教)やクリスマス(12月24/25日・キリスト教)を当たり前のように楽しみながら、お正月は除夜の鐘(1月1日・仏教)に年明けを感じ、初詣。2月に入れば節分(2月3日・日本神道)で「鬼は外、福は内!」と叫んで豆を投げ、その2週間後にはバレンタインデー(2月14日・キリスト教)に街が沸き立つ。3月に入れば桃の節句(3月3日・日本神道)で雛祭り、受験ではお守りを5個も6個も持ち歩く。ざっと年間行事を振り返るだけでもこれほど思い当たるのに、日常の習慣や冠婚葬祭まで入れたら切りがない。

●日本人は「多」宗教でもない

では、日本人は多宗教なのか? 上述した行事だけでもキリスト教、仏教、日本神道と様々な宗教が入り混じっている。様々な宗教行事に関わっているのだから、「無」宗教ではなく「多」宗教と言えば良いのではないか。

「日本人は多宗教」。その考えに至った瞬間に頭をよぎったのは、私が中学生の時にホームステイで受け入れたBさん(マレーシア出身・イスラーム教徒)の言葉だった。

「日本人はキリスト教も仏教も色んな宗教受け入れてる。でも、宗教のこと何も知らない。全部信じて、全部信じない。日本人、オカシイよ」

当時の私は、彼の言葉が理解できなかった。しかし大学生になった今、もう一度この言葉を噛み締める。引っかかったのは、日本人が「宗教のこと何も知らない」という言葉。

確かに、日本人は宗教に対してあまりに浅学だ。キリスト教、イスラーム教、仏教が世界三大宗教だという認識をかろうじて持ち、それぞれの宗教については世界史で習う程度(ただの私個人の経験則です)。場合によってはイスラーム教で禁止とされているのは「豚肉」か「牛肉」かも混同する(ただの私個人の経験則です)。私自身も例外ではない(恥ずかしながら、前述した行事がどの宗教に分類されるのか少し調べました)。

そもそも、「知らない」ということは「関心がない」ということに近いと思う。多くの日本人が、ハロウィーンを何のためにするのか、クリスマスが何のために存在するのか、身近な行事でさえあまり考えない。たとえハロウィーンが先祖の霊を迎えながら悪霊を追い払うお祭りだと知っていても、そのような意識でハロウィーンを過ごす人など皆無に等しい。お菓子や仮装にしか関心がない人ばかりだ。関心がありさえすれば、インターネットを使ってあっという間に知ることができるのに。

話を戻そう。日本人は多宗教なのか、それがそもそもの問いだった。

結論として、日本人は多宗教ではないと考える。理由は知識の乏しさとそれに連なる関心の低さだ。宗教が「何かを信仰すること」だとしたら、信仰の対象に関心がないというのは人間の心理に反することのように思う。

「日本人は祖霊信仰だ」。こんな言葉も聞いたことがある。確かに、お盆(仏教も関連)やお彼岸(仏教も関連)、「ご先祖様」の概念から、祖霊信仰の考え方が生活の一部であるのは間違いない。先祖に対する想いの度合いも他国と比べたら強いかもしれない。しかしやはり「宗教」という言葉に落とし込むには、現代の日本人は知識も関心も足りないと思うのだ。

前述したイスラーム教徒のBさん含め、私が今まで出会ってきたキリスト教徒、ヒンドゥー教徒の方たちと比べると、「私は祖霊信仰です」も「私は多宗教です」も私には言えない。

●私たち日本人は「宗教」をもっと理解しなければならない

私は日本人を無宗教でも多宗教でもないと結論付けた。では私たちは何なのか。私は何なのか。この問いを得てから現在まで、私は未だに(日本人の)私自身の宗教に名前を付けられずにいる。

ただ、この問いを通して得た答えもある。私たち日本人は、「宗教」をもっと理解しなければならないということだ。何かを信仰しろというわけではない。日本の行事すべての意味を知れというわけでもない。ただ世界の大多数に歩み寄るために、宗教の重要性への「理解」は必要なのだと思う。

おそらく日本人には、個人における宗教の重要性(宗教的観念)が欠落している。しかしそれでは世界に目を向けた時に、不十分だ。なぜなら世界の無宗教・無神論者は全体の14.3%の9億5,190万人で、それ以外の約65億人はなにかしらの宗教に属しているのだから(2016年時点「世界の宗教を知ろう!-港区」より)。

宗教観への理解の欠落は、世界の大多数への理解の欠落だ。

世界の多くの人間の精神に深く根付く「宗教」。私自身が典型的な“日本人”だからこそ、「理解」したい。そう切実に思い始めた。

(サポーター/Yuka Yamasaki)

*この記事はganasサポーターズクラブのエッセーの会に参加するパートナー/ サポーターの方の作品です。
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*文責は筆者にあり、ganasの主義・主張ではありません。