【環境と開発の接点(8)】エコロジーとエコノミー、環境意識とGDPは比例するのか~「環境クズネッツ曲線」を検証してみた~

マリパにある一般的な家の中。この家はちょっとだけ豊かなほうだが、インディヘナ(先住民)の家を除けば、だいたいこんなもの。居間にはテレビ、オーディオ、衛星放送の機械も置いてある。じゅうたんの上にはゆったりしたソファも。ただエアコンは寝室にしかない

経済レベルが“ある程度”まで上がれば、国民の間に環境意識が芽生え始める。ごみのポイ捨てが減り、資源の無駄使いも気にかけるようになっていく。いわゆる「環境クズネッツ曲線」の論理だが、これを、“ちょうどそのレベル”にあるベネズエラを例にとって考えてみたい。

経済的な豊かさ=ポイ捨てが減る?!

「なんだ! ベネズエラは。どこに行っても、ごみだらけじゃないか!」

いくつもの途上国を渡り歩いてきた、JICA(国際協力機構)ヴェネズエラ駐在員事務所の小金丸梅夫所長が、マリパ(ベネズエラ南東部にある、私が暮らす村。人口およそ3000)を視察に訪れたとき、私にこう言った。

「幹線道路の両脇にごみが捨てられていて、それがずっと続いている。なんじゃこりゃ、と思ったよ」

「そうなんですよ、まったく」と応じながら、私はちょっと別の視点に思いを巡らせていた。それは「経済レベル」と「環境意識」の間には相関関係があるのかどうかということ。

大ざっぱにいって、先進国の人はポイ捨てしないし、路上にもごみはほとんど落ちていない。対照的に途上国ではごみのポイ捨ては日常茶飯事。雑多なごみが路上に散らかっていてこそ、魅惑の雑踏感がかもし出されるといえなくもない。正反対だ。

そんなことを考えながらコーヒーをすすっていると、「環境クズネッツ曲線」という論理をふと思い出した。これによると、経済が豊かになると、人はテレビやクルマを購入し、環境負荷をたくさん与える。ところが1人当たり国内総生産(GDP)が3000~5000ドルに達したころ、国民の間にモラルが醸成されて環境負荷は落ちていくという。

確かに、タイ(1人当たりGDP8300ドル、2005年)やフィリピン(同5100ドル、05年)などの東南アジア諸国を見ていると、この論理は当たっているように感じる。ここ20年近くで街中はずいぶんときれいになったし、悪臭も、ハエの数も減った。ポイ捨ても以前に比べたらグッと少なくなったような気がする。

もちろん、経済成長により国庫が潤沢になれば、インフラの整備は進むだろう。ただそこで大抵の場合、「環境意識」という、いわば国民のモラルも同時に醸成される。でなければ路上なんてきれいにならない。

さてベネズエラの1人当たりGDPは、実は6500ドル(06年)もある。環境クズネッツ曲線の論理を適用するならば、この国でもそろそろ環境意識が芽吹き始め、ごみのポイ捨てって良くないんだ、と気づいてもいいころのはず。

ところが、マリパをはじめ、その周りの街や村を見る限り、幼い子どもから大人まで、ものすごく自然にポイ捨てするし、その頻度・量も半端ないのだ。どこもかしこもごみだらけ。「ポイ捨ては文化!」と言い切る人さえいる。

なぜ、ベネズエラではこの論理が破綻してしまうのだろうか。

モノがあふれかえった途上国、USBを手に通学する高校生

ベネズエラは本来、貧しくない。というより、途上国であること自体が本当はおかしいのだ。

石油の確認埋蔵量は世界6位だし、ガスも9位。鉄やアルミ、金、ダイヤモンドまで取れる。世界でも指折りの資源大国。人口も2500万と多くない。国土だって日本の2.4倍ある。

この国の豊かさを、何の変哲もない田舎・マリパを例にとって説明してみよう。マリパの人たちの月収は、下はおよそ300ドル(最低賃金)から、上は1000ドル以上。共働きで月収1千ドルを超える家庭だってさほど珍しくない。繰り返すが、マリパは何の産業もない、インディヘナ(先住民)や黒人の子孫も暮らす僻地だ。

この村は2006年末まで、固定電話はもちろん、携帯電話さえも入らなかった。いまでも郵便はないし、鶏肉や砂糖さえ店の棚から消えるときもある。

そんな村なのに人々は毎日、ペットボトルの炭酸飲料をがぶ飲みし、使い捨てのプラスチック製コップをやたらと浪費し、スナック菓子をぼりぼりつまみ、肉を山のように食べ、週末にはビールをたらふく飲む(1晩で1人20本以上も!)という生活をしている。

家の中をのぞけば、テレビがあるのはもちろん、衛星放送まで見ているし、冷蔵庫も、洗濯機も、オーディオも、エアコンも、DVDプレイヤーまで揃っている。クルマやスクーター、バイクを乗り回す人も。デジカメやコンピューターを持っている人だって珍しくない。高校生がメモリースティック(USB)やMP3を手に学校へ通う。携帯電話のアンテナが立って以来、いまやケータイが大ブームだ。

モノがあふれかえった途上国、それがベネズエラ。これは、途上国なのに田舎でさえもそれなりに物質的に豊か、であると同時に、捨てるごみはいくらでもある、ということを意味する。

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