大統領派のジャカルタ知事が再選できなかったわけ、本当に「イスラム侮辱」が理由なのか?

0516土屋くん、スクリーンショット 2017-05-15 17.12.30アホック氏(写真右)の「イスラム侮辱罪」に対する裁判がインドネシアのテレビでも盛んに報道される。ジャカルタ地方裁判所は5月9日、アホック氏に禁錮2年の実刑判決を下した

4月19日に決選投票があったインドネシア・ジャカルタ特別州知事選で、現職のバスキ・タハジャ・プルナマ(通称アホック)氏は負けた。最大の敗因は「宗教問題」との見方が濃厚だ。その引き金となったのは、アホック氏が7カ月前に行ったスピーチが「コーランを侮辱した」として大きな波紋を呼んだこと。ただこの裏には、アホック氏の「汚職撲滅の政治」を快く思わない企業や政治家のメディアに対する圧力があったとする陰謀説も見え隠れする。

■予想外の大逆転で敗北

アホック氏はキリスト教徒の華人だ。国民の9割がイスラム教徒のインドネシアで2014年に、華人として初めてジャカルタ特別州知事に就いた。今回の選挙では再選を目指していた。ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領の支持もかねて受けている。

ジャカルタ特別州知事選の決選投票でアホック氏の対抗馬となったのは、前教育文化相でイスラム教徒のアニス・バスウェダン氏だ。2月15日の第1回投票ではアホック氏が得票率42%でトップ。アニス氏は40%で2位だった。ところが決選投票ではアニス氏が58%を集め、アホック氏を大逆転。票を単純に計算する限り、第1回投票で3位だったアグス・ハリムルティ・ユドヨノ氏(ユドヨノ前大統領の長男。イスラム教徒)の票(第1回の得票率17%)がそのままアニス氏に流れたことになる。

しかしアホック氏がいくらキリスト教徒とはいえ、イスラム教徒はなぜ、これほどまでにアホック氏に投票しなかったのか。「その最大の理由は、アホック氏がイスラムを冒とくしたからだ」とインドネシア人は口をそろえる。

2016年2月に行われた第一回投票のときの開票速報。それぞれ3つの写真の左側が知事候補で、左から順にアグス氏、アホック氏、アニス氏。各知事候補の隣にいるのは、副知事候補だ。インドネシアでは、知事・副知事がペアを組んで選挙に出馬する

2016年2月に行われた第一回投票のときの開票速報。それぞれ3つの写真の左側が知事候補で、左から順にアグス氏、アホック氏、アニス氏。各知事候補の隣にいるのは、副知事候補だ。インドネシアでは、知事・副知事がペアを組んで選挙に出馬する

■ムスリムは「アホック嫌い」

アホック氏はどんな経緯でイスラムを罵ったのか。ことのてん末はこうだ。

ジャカルタ特別州の北部にあるプラウスリブ県で2016年9月、アホック氏が住民の前でスピーチした。そこで「ユダヤ教徒とキリスト教徒を仲間にしてはいけないというコーランの51節に惑わされるため、あなたたちは私に投票できない。地獄に落ちるのを恐れ、私に投票できないのなら、仕方ない」と話す。この発言だけが切り取られ、ソーシャルメディアで動画として拡散されると、多くの批判が巻き起こる。

アホック氏はその後、「住民に言ったのは、コーランの聖句を利用する人種差別者や臆病者に惑わされるようであれば、私に投票しなくても良いということ」と真意を釈明する。

だが「イスラム侮辱」は、イスラム教徒たちに大きな衝撃を与えたようだ。インドネシアの邦字紙「じゃかるた新聞」は、ジャカルタ特別州知事選の決選投票の結果を受け、「(イスラム教徒の)2割の浮動票がアニス氏に向いたのは、やはり『宗教冒とく』発言に対する抗議活動の結果だった」と分析する。

中部ジャワ州サラティガ(住民の大半がキリスト教徒)在住で、コンサルタントとして働くキリスト教徒のアブラムさんも「2月の1回目の投票で勝てなかった時点で、アホック氏は負けると思った。アグス票がアニス側に流れるのはわかっていた。イスラムを侮辱したのが大きな敗因だ。アホック氏を嫌うのは(私たちキリスト教徒ではなく)イスラム教徒だ」と話す。

イスラム教徒の間では「アホック嫌い」は鮮明なようだ。

■企業の恨みを買う

汚職撤廃に向けたアホック氏の動きを嫌う企業が裏で、「宗教冒とく」の一連の報道を操った、との見方もある。アホック氏は反汚職を掲げる政治家として有名だ。ジャカルタ特別州副知事時代の2013年には「ブン・ハッタ反汚職賞」も受賞している。汚職で甘い蜜を吸う企業から恨みを買っても不思議ではない。

ジャカルタ出身で慶応大4年のインドネシア人留学生、ナンディカ・ヴィヴァルディさんも「アホック氏を憎む企業がメディアに一連の報道をするよう働きかけたのではないか」と推測する。

この読みは単なる当て勘ではない。ヴィヴァルディさんは「インドネシア社会のこれまでの流れからすると、そう考えるのが妥当」と続ける。この「社会の流れ」こそ、アホック氏が闘う「汚職」なのだ。もしヴィヴァルディさんの読みが本当だとすれば、ジャカルタ特別州知事選で、アホック氏は「汚職」撤廃をPRして勝ち(2012年)、「汚職」撤廃で足を引っ張られて負けた(2017年)ということになる。

しかも汚職をする企業側には、「宗教」という格好の攻撃材料がある。インドネシアでは過去に数えきれないほどの宗教対立が起きている。30年続いたスハルト政権が崩壊した1998年5月のジャカルタ暴動では、市内の中華街が焼き討ちされた。

インドネシアの信教の自由をモニタリングするセタラ研究所(本部ジャカルタ)のデータを国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチが引用したところによると、インドネシアで起きた宗教的少数者への暴力事件は2007年の91件から2013年は220件へと2.4倍以上増えている。

イスラム教を信仰するジャワ人が数的優位を保つインドネシアでは、アホック氏にとって、華人であり、またキリスト教徒であること自体が弱点なのだ。

■アンチ汚職政治は道半ば

ただ、付け加えると、アホック氏自身も完全な潔癖というわけではなさそうだ。ジャカルタ湾での人工島の建設に絡む贈収賄事件にかかわった疑いで、汚職撲滅委員会(KPK)が2016年に、アホック氏の側近である政治コンサルタント、スニ・タヌウィジャヤ氏を事情聴取している。またアホック氏自身も同年、西ジャカルタに病院を建てる土地の汚職疑惑で、KPKから事情聴取を12時間受けた。

とはいえアホック氏への期待は大きかった。ヴィヴァルディさんは「アホック氏のアンチ汚職の政治は道半ばで終わった。これからまたジャカルタで汚職が蔓延していくのではないか」と、故郷ジャカルタの行く末を心配する。

1万人以上の日本人が暮らすなど、日本にとっても身近なジャカルタ。日本は過去50年以上にわたって政府開発援助(ODA)を供与してきた。最近では地下鉄の建設が進み、2019年にも開業する予定だ。

アホック氏の敗北で、同氏と同盟関係にあるジョコウィ大統領(前ジャカルタ特別州知事)が公約に掲げる汚職撲滅政策はどうなるのか。今後の行く末が注目されそうだ。

インドネシアの選挙では「投票を終えた」印として投票後、指にインクをつける。これ以外にも、候補者を選ぶとき、投票用紙の支持する候補者に釘を刺してマークするなど、日本とインドネシアの選挙の方法はだいぶ違う

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