在日ミャンマー人らがスーチー氏の解放訴え、「コロナで大変なのに抗議デモしてごめんなさい」

隣のタイで2020年に起きた反政府デモでも象徴となった「3本指を立てるポーズ」。「抵抗」を意味するといわれるが、話を聞いたミャンマー人によると「Peace(平和)を願うサイン」であり、民政復活への願望を込めているという

「日本はいまコロナで大変だと思います。大人数で集まってはいけないというルールを守れなくてごめんなさい。でも私たちにはこれ(反軍政デモ)しか民主主義のためにできることがないんです。許してください」。2月1日に起きた軍事クーデターに抗議するデモに参加した在日ミャンマー人らは、こう口をそろえて日本人に訴える。

クーデターに抗議するデモが2月7日午前10時~午後1時、東京都品川区の駐日ミャンマー大使館のそばであった。5000人近い人たちが集まり、反軍政や、軍に拘束されたアウンサンスーチー氏をはじめとする国民民主連盟(NLD)の政治家の解放、民主主義の回復などを訴えた。

60年間も軍に抑圧されてきた

「本当はデモなんてやりたくないんです。大使館のまわりは住宅街なので住民の方は迷惑ですよね。うるさくてごめんなさい。日曜日なのに警察の方も大変ですよね」と、ジンマーさん(27歳)は大使館の近隣住民や警察官を気遣う。

「ミャンマー人は過去に60年ほど軍に抑圧されてきました。民主的な平和が欲しいだけなんです」と続ける。

ジンマーさんは2019年に来日し、働いている。軍が全権を掌握したと聞いたときは「言葉が見つからず、心が痛かった」と明かす。ところが今回のデモに予想以上の人が集まり、団結して反軍政を訴えている様子を見て、「ほんの少しだけ安心できた」と話す。

国外からプレッシャーをかける

「軍事政権により若者の夢が壊されてしまった。本当に悲しい」。こう語るウィンチョーさん(55歳)は日本に来てからの33年間、「何百回、何千回」と民主化デモを駐日ミャンマー大使館の前などで行ってきた「反軍政デモのプロ」だ。普段は東京・新大久保の飲食店で働いているが、いまはほぼ休業状態だという。

遡ること33年(1988年)、当時ヤンゴン工科大学の学生だったウィンチョーさんは、1988年8月8日の民主化を訴えるゼネストデモ「8888民主化運動」に参加した。この運動は国軍に鎮圧され、学生や僧侶など数千人が命を落とした。

ウィンチョーさんは1989年、日本へ亡命した。「1988年、私たちは一度軍に負けました。今は若者の番です。私は若者の未来のためにもう一度戦います」と熱く語る。

若者の熱気に勇気づけられたというウィンチョーさん。「今日(のデモ参加者)は3000人以上いますね。大使館前のデモでは見たことがないくらい多い人数。しかも20~30代の若者がほとんど。悲しい半面、頼もしいです」と言う。

軍が掌握した2月1日以降、ミャンマーではインターネット通信が断続的に遮断されている。SNS上での言論の自由が統制されている今だからこそ、「ミャンマーの外にいる私たちが(軍事政権に)プレッシャーをかけなければならない。今の状態が長くなればなるほど、軍政が定着してしまう」とウィンチョーさんは懸念を示す。

デモ参加者には消毒も徹底

「手指消毒してからデモエリアに行ってください!」「消毒のご協力、お願いします!」。NLDの赤いTシャツを着たボランティアスタッフがこう呼びかける。

ボランティアのひとり、マウン(仮名)さん(26歳)は埼玉県でデータ関連会社に勤める会社員だ。「デモの参加者には事前に必ず、マスクを着用するよう呼びかけ、アルコール消毒にも協力するよう」事前準備もしっかりやったという。

「車が通りまーす! 下がってください!」と日本の警察が呼びかけると、「カーラービー(車が来たよ)! カーラービー!」とすかさずビルマ語で呼びかけるのもボランティアの役割だ。

在日ミャンマー人全員が日本語が堪能というわけではない。「そこのお姉さん、そこはみ出さないで! もっと下がって! ここのコーンより後ろ後ろ!」とデモエリアのはみだし注意も欠かさない。

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