貧しい子どもに教育をデリバリ~♪ インドの街に“車輪の学校”が走る!

車輪の学校が使うバスは、地元企業などが寄贈した改装車。座席は取り外され、布を敷いた床の上で子どもたちは学ぶ。窓には教材ポスターが貼られ、運転席の背面は黒板、網棚は戸棚にリフォームされている(インド・プネーで撮影)車輪の学校が使うバスは、地元企業などが寄贈した改装車。座席は取り外され、布を敷いた床の上で子どもたちは学ぶ。窓には教材ポスターが貼られ、運転席の背面は黒板、網棚は戸棚にリフォームされている(インド・プネーで撮影)

インド西部の都市プネーで、教育へのアクセスが難しい子どもたちに、斬新な方法で教育を届けるNGOがある。4台のバスをプネー市内16カ所に巡らせ、常時500人ほどの子どもたちへ補習クラスを行う「ドアステップスクール」だ。東部の貧しい州から移住してきた親たちが働く間、市場や駅付近で働いたり、交差点で物乞いしたりする子どもたちに無償で学ぶチャンスを与える。バスを使ったこの“車輪の学校”が始まった1998年、最初のバスを寄贈したのは駐ムンバイ日本領事館だった。

朝9時半ごろ、プネーの貧困地区の道端にバスが到着する。25人前後の子どもたちが次々とバスに乗り込む。車輪の学校で学ぶのは6~14歳の子どもたちだ。1台のバスに2人の先生が付き、レベル別に授業を行う。科目はマハラシュトラ州の公用語であるマラティ語を中心に、算数や工作、体操など。1クラス2時間が終わると、車輪の学校は次のサイトへ移動していく。

車輪の学校に通う生徒の3分の2を占めるのは、移住労働者の子どもたちだ。隣接するマディヤプラデシュ州をはじめ他州から来た子どもたちはマラティ語がわからないため、学校の授業についていくのは難しい。学校側も短期間で次から次へ移住する子どもたちの受け入れには消極的だ。教育を受ける機会からこぼれ落ちる子どもを車輪の学校は救い上げる。

特筆すべきは、ドアステップスクールの先生たちが、子どもたちが学ぶ機会を逃させないよう必死なことだ。バスが停車するサイトも、入れ替わりの激しい生徒の居住地にあわせてフレキシブルに変更。親の仕事の都合で引っ越す時は、新たな場所でも学校に通えるようにつなぐ。バスの中で開く保護者会では、子どもたちが学ぶ大切さを親に伝える。

先生の情熱に応えるかのように、子どもたちの吸収力も素晴らしい。マラティ語が全くできなかった子どもが平均6カ月で新聞が読めるレベルになるというから驚きだ。

画期的なシステムにも映る車輪の学校が生まれたのは、現場のニーズからだった。ドアステップスクールの創設者であるラジュニ・パランジュペ代表(82)は「学校が遠かったり、働いたり、物乞いしたりする子どもたちに2時間座って勉強を教える場所などなかった。誰かが発明したのではないのですよ」とにこやかに語る。

車輪の学校プロジェクトの責任者を務めるアンキタさん(41)は、車輪の学校の仕事について「親を説得して、学ぶ機会を失った子どもたちに教育を届けるのが私の喜び。読み書きをどんどん吸収し、瞳をキラキラさせてた子どもたちが将来の夢を話してくれる時が、私にとって一番嬉しい瞬間」と目を輝かせる。

ドアステップスクールの年次報告書2017年によると、同団体は、プネー市の約3500人いるとされる移住労働者の子どもの67%にコンタクトし、その85%に当たる1950人を移住先の学校や車輪の学校などに通わせた。1年間に延べ31カ所で1440人が車輪の学校で学んだ計算だ。

車輪の学校プロジェクトの責任者であるアンキタさん。先生の仕事の半分は、正規の学校や車輪の学校に来ない子どもたちへの声がけだという。親を説得し、教育の重要性を訴える。親が仕事しているため、幼いきょうだいを連れて通学する子どももいる(インド・プネーのドアステップスクールの事務所で)

車輪の学校プロジェクトの責任者であるアンキタさん。先生の仕事の半分は、正規の学校や車輪の学校に来ない子どもたちへの声がけだという。親を説得し、教育の重要性を訴える。親が仕事しているため、幼いきょうだいを連れて通学する子どももいる(インド・プネーのドアステップスクールの事務所で)