コロナ禍で経営難に陥ったルワンダのNGOスクール、打開策は子どもの親に手に職をつけさせること 

マンダジ(揚げドーナツ)とチャパティを店に卸して稼げるようになった保護者と永遠瑠(とわり)マリールイズさん(左)。ルワンダ・キガリで撮影

国際協力NGOルワンダの教育を考える会(本部:福島県福島市)がルワンダの首都キガリで運営する「ウムチョムイーザ学園」がコロナ禍で財政難に陥っている。学園存続の危機を乗り越えるためにとった策のひとつが、子どもの親(保護者)が稼げるようサポートすること。ルワンダ出身の永遠瑠(とわり)マリールイズ理事長は「保護者が稼げれば、子どもの学費を払える。子どもも学び続けられる」と語る。

ピンチ!学費の2%しか集まらない

ウムチョムイーザ学園が建つキガリは、マリールイズさんの生まれ故郷だ。学園は幼稚園と小学校(あわせて6年間)を併設している。小学校の卒業試験の合格率はほぼ100%。卒業生は全員、地域で1、2番の中学校へ進学するという。

ルワンダの教育を考える会をマリールイズさんが日本で立ち上げたのは2000年。講演会やルワンダ料理の教室、バザーで資金を集め、2001年にキガリに教室を2つ建てた。その後毎年2つずつ増やし、現在は15の教室がある。

マリールイズさんが目指すのは、戦争で両親を亡くしても、貧しくてもすべての子どもが平等に教育を受けられる学校を作ることだ。「もう二度とジェノサイド(大虐殺)を起こさないよう、ルワンダに教育を行き渡らせたい。一人でも多くの子どもに学んでほしいとウムチョムイーザ学園を開校した」(マリールイズさん)

ウムチョムイーザ学園に通う240人の子どものおよそ3分の1(85人)は貧困家庭の出身だ。ルワンダの教育を考える会が学費を負担している。

「子どもたちの家庭の貧しさは目を覆うほど。訪問した家には、家族の人数分の食器はなく、かわりばんこに食事をとっていた。土の床の狭いひとつの部屋にダンボールを敷き、毛布ひとつで子ども3人が肩を寄せあい寝ていた」(マリールイズさん)

大変なのは、コロナ禍で職を失ってしまった保護者が少なくないことだ。「1学期の学費10万ルワンダフラン(約1万1000円)を払うどころではなくなってしまった」とマリールイズさんは言う。2020年9~12月にはわずか2%の学費しか集められず、学園は財政難に陥った。

とりわけ困窮するのは数十人のシングルマザー。彼女たちは入れ替わり立ち替わりマリールイズさんを訪ねる。なかには泣きながら家族の窮状を訴える人も。「彼女たちはコロナ禍で収入がなくなった。食べ物も確保できなくなった」とマリールイズさんは困窮ぶりを代弁する。

稼げなければ当然、自立できない。手に職をもつことが自立のためにいかに重要かをマリールイズさんは身をもって知っていた。なぜなら彼女は洋裁の講師というスキルがあったから自立できた。研修で日本へも行けた。ルワンダで1994年に大虐殺が起きた際は、避難先のルワンダ国境の町ギゼニで、中学校の家庭科の授業で学んだマンダジ(揚げドーナツ)を毎日作って売り、命をつないだ。

ミシンひとつで食べられるように

シングルマザーひとりひとりに向き合い、何ができるのか。そのためにどんなサポートが必要なのか。マリールイズさんはシングルマザーたちと一緒に考えた。

シングルマザーのひとりはマリールイズさんにこう言った。「洋裁を昔、学んだことがある。ミシンがあれば、子どもに食べさせてあげられる」

このシングルマザーは新型コロナで、収入がなくなっていた。話を聞くと、ミシンを使えるという。マリールイズさんはこの女性のために12万ルワンダフラン(約1万3000円)を出して足踏みミシンを購入。貸してあげた。期間は3カ月とした。

そのシングルマザーは3カ月後、約束通りマリールイズさんの元へ、ミシンを返しにきた。ミシンのおかげで、子どもに食べさせてあげられるようになったという。だが学用品を買えるほど稼げてはいなかった。学用品も買えるよう、マリールイズさんはミシンの返却期限を延ばしてあげた。

ミシンで作れる商品も多くなって、売り上げも増えてきた。「以前はバッグしか作れなかったが、今はワンピースも作れる。まだ上手とは言い切れないけれど、本人はワンピースも作れるようになったことを誇りに思っているようだ」(マリールイズさん)。今は子どもたちを食べさせることで手一杯でも、学費を少しずつ払えるようになるとマリールイズさんは期待する。

足踏みミシンを貸してもらった保護者。作れるようになったワンピースを着て(ルワンダ・キガリで撮影)

足踏みミシンを貸してもらった保護者。作れるようになったワンピースを着て(ルワンダ・キガリで撮影)

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