母は売春婦にされた! 24歳のネパール人が人身売買撲滅を目指すNGOで働く理由

元売春婦の母をもつラージさん(右)と、ラージさんの恩人であるティムさん(左)。ラージさんはティムさんのことを「僕のすべてを形作った父親みたいな人」と慕う

「私の母は売春婦として売られていった」。辛い過去をこう打ち明けるのは、インド西部の街プネーに住むネパール人、ラージ・クマールさん(24歳)だ。5歳の時、母親がネパールのカトマンズで人身売買の被害にあい、離れ離れとなった。ストリートチルドレンとして生き延びた経験をもつラージさんは今、人身売買の撲滅を目指すプネーのNGO「スパーシュ」の広報担当として、自身と同じような境遇の子どもを少しでも減らすよう啓蒙活動に力を注ぐ。

■5歳でストリートチルドレン

ラージさんはネパールの田舎町で生まれた。母は、夫のアルコール依存と家庭内暴力に耐えかねて、ラージさんを連れてカトマンズへ移り住んだ。しかし貧しいネパールで、シングルマザーが十分な報酬を得る仕事に就くのは難しかった。毎日の食事代を工面するのにも苦労したという。

人身売買業者がそんな中、結婚を口実にラージさんの母に接近してきた。一緒に暮らすという約束で国境を越え、インドのコルカタに移動した。だが母はその後、ムンバイの売春斡旋業者に売られていった。ラージさんは言う。「人身売買業者は買い手を見つけるために女性たちを一度コルカタに集める。そこからインド内外に売りさばく」

ムンバイで母と離れ離れになり、ストリートチルドレンになったラージさんは当時5歳だった。盗みをしたり、モスクが配給する食事をもったりしてなんとか生き延びたという。「一人ぼっちだし、ご飯もない。盗みや物ごいをするしかなかった。この時が人生で最も辛い時期だった」とラージさんは当時を振り返る。

■一転して名門大学を卒業!

ラージさんにとって大きな転機となったのは、「ボンベイ・ティーン・チャレンジ」というストリートチルドレンを保護するNGOで当時働いていたティム・ヒウアレさんとの出会いだ。ティムさんは、ストリートチルドレンだったラージさんに家と食事を提供し、学校に通わせた。ラージさんは「ティムは父親のような存在。彼がいなければ今の私はなかった」と感謝する。

人生に希望を見出したラージさんは勉強に励んだ。高校の時には奨学金を得て米国に短期留学。その後は、ムンバイの名門・聖ザビエル大学のマスメディア学部に進学した。在学中には地元の新聞社のDNAインディアやCNNでインターンとして働きながら、人身売買について研究。底辺の生活から一転、誰もが羨む学歴キャリアを築いていった。

大学を卒業する前には、大手メディアから就職の誘いもあったというラージさん。しかし彼が卒業後に職場に選んだのは、ティムさんがプネーで新しく立ち上げたNGOスパーシュだった。「大手メディアに入って、現実味のない情報を流すよりも、目の前の子どもたちのために働きたいと思った」(ラージさん)

ラージさんは今、スパーシュの広報として、インターネットを通して、人身売買の手口や悲惨さを伝えている。「まずは人身売買を防ぐ教育が必要だ。業者が女性にどう近づいて、人身売買に発展していくのか。被害の多い田舎に予防教育を広める必要がある」とラージさんは語る。

■人身売買は1日55人も

インドでは、年間2万人の女性と子どもが人売買の被害にあっているといわれる。人身売買業者は地方の貧しい家庭や女性に近づき、結婚や仕事を口実に連れ去っていくというのが常套手段だ。売春婦にされるとわかっていながら、貧しさから娘を売ってしまう親もいる。保守的な風潮の残るインドでは、女性は一度でも性の奴隷にされてしまうと、元の家族やコミュニティーに戻るのは難しい。

実は、ラージさんの母は最近、ラージさんのもとに帰ってきた。しかし母子の関係は昔と違うという。「5歳でひとりぼっちになり、苦しい生活を送った。あの辛かった過去は消えない。母が帰ってきた今も、昔のように一緒には笑えない」

スパーシュが運営する施設で生活する子どもたち(インド・プネー)

スパーシュが運営する保護施設で生活する子どもたち(インド・プネー)。ここで暮らす子どもたちの親は人身売買にあったり、アルコール依存症だったりする。ストリートチルドレンだったため、保護された子どももいる