感染症の専門医をインドネシアで育てたい! 67歳の臨床検査技師・源不二彦さんの第二の人生

ドイツのミュンスター大学生命情報科学分野の研究者と源不二彦さん(左から2人目)ドイツ・ミュンスター大学の生命情報科学分野の研究者と源不二彦さん(左から2人目)

「臨床検査技師としてやれることは、まだまだある」。こう話す源不二彦さん(67歳)は60歳で定年退職してから本格的に国際協力を始めた。退職した翌年の2012年に、中米ハイチに3カ月滞在し、結核にかかっているかどうかの検査を手がけた。現在は、インドネシア・スラウェシ島のマナドを定期的に訪れ、感染症の検出方法を臨床医に教える。

■途上国デビューは40代

途上国の医療事情に源さんが興味をもったのは、いまから20年以上前の40代のころだ。下痢の専門家が登壇するセミナーを月に1回受けていた源さんは、その専門家から、ブラジル東部の街レシフェで下痢の調査と菌の検出の技術指導を3年間やらないか、と誘われた。

「とても行きたかった。でもチームワークで進む職場から自分が抜けることはできなかった。悔しかった」。当時の心境を源さんはこう振り返る。

源さんが初めて途上国を訪れたのは1999年。HIVの患者が当時急増していたアフリカのタンザニアとザンビアに行き、現地の病院を見学した。そこで源さんは、5歳未満児が何の病気かもわからずに次々と死んでいく光景を目にした。「医者や看護師が病気を治すだけでは解決しない。臨床検査技師としてやれることがたくさんある」と強く感じた瞬間だった。

ところが定年退職を翌年に控えた2011年、源さんの体に異変が起こる。「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」の発症だった。抗がん剤治療を受け、3カ月の闘病生活を乗り越えた。「余命3年だったと後から知らされた。残りの人生は好きなことをやろう」と心に決めた。

定年退職した矢先、今度は14年間一緒だった愛犬を失った。日課だった愛犬との散歩はもうできない。「でもここから、世界に出ていく第二の人生がスタートした」。源さんの足は、現役時代に気になっていた途上国に向かうことになる。

■ハイチで227人に結核調査

源さんが途上国で初めて本格的に仕事をしたのは2013年、61歳のときだった。場所は中米のハイチ。2010年1月にマグニチュード7.0の地震が起きた後、ハイチでは結核患者の発見が遅れていた。

当時LAMP法(栄研化学が開発した結核菌の遺伝子増幅法)の研究にかかわっていた源さん。LAMP法が世界保健機関(WHO)の認可を取るためには、より多くのデータが必要だった。源さんは国際協力機構(JICA)の医療専門家として現地に入り、結核の検体を集めることになった。

試行錯誤の連続だった。「ハイチには読み書きができない年配の人が多かった。検査に使う痰の取り方は絵で説明した。名前が書けない人は線を引いて示してもらった」

現地の警備の厳重さにも驚いた。「移動はJICAの運転手付きの車で、銃を持つガードマンが必ずついていた。スーパーや銀行、病院にもショットガンを持った警備員が常にいた」。病院と宿泊先のみを往復する日々だった。

3カ月で検査した人数は227人、集めた検体は658個にのぼった。少なくともこの70人が結核陽性だった。源さんらは、ハイチでの検査結果を加えて書き上げたLAMP法の論文をWHOに提出した。機材や人材が限られる途上国でもLAMP法は有効に使える結核検出法だ、とWHOから認められた。

■マラリアの判別方法教える

源さんは現在、インドネシア・スラウェシ島の都市マナドで臨床医の教育に携わる。東京大学や北海道大学などに所属する5人のチームで活動する。ミッションは、マラリアやデング熱などの病原体を血液から検出し、判別する技術を現地の優秀な臨床医に教えること。細かい器具を操作したり、決められた時間で試薬を血液に添加したりと煩雑な作業が多い。

「研修期間中の臨床医はとても熱心。でも私が日本に帰ると、何も勉強しない」と源さんは肩を落とす。「診療のかたわら、面倒な実験に費やす時間もお金もないのかもしれない」

源さんら5人のチームの経済状況も良くない。日本学術振興会の科学研究費(5年で最大2000万円)を使っているが、ほとんどが渡航費用に消えてしまう。「本当は2カ月に1回は現地で研修をやりたい。だが今の予算ではとても難しい」

研修をより充実させたい源さんらは、エネルギーや感染症など全世界の問題を共同研究するプログラム「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)」などでの予算獲得を目指している。プロジェクトが採択されれば、1年で最大1億円の活動費を得ることが可能だ。「大型予算が獲得できれば、ラボを現地に作り、日本人が常駐し、現地医師と共同研究できる」と源さんは言う。

「少しでも興味があることには時間を惜しまない」。その思いが定年退職した後も源さんを動かし続ける。今後は、マナドだけでなく、ケニアやタイでの活動も増やしていくことも模索中だという。

ハイチで絵を使って結核検査について説明しているところ

ハイチで絵を使って結核検査について説明しているところ