格差社会になったモンゴル、シャーマンになれば「失ったプライド」を取り戻せるのか

シャーマンになった若い娘とその両親。シャーマンに乗り移る精霊は先祖の霊なので、シャーマン自身は若くても、儀礼の際は「おじいさま」「おばあさま」と家族からあがめられる。逆にシャーマンは、上下関係によらず「幼子たちよ」と家族に呼びかける(島村氏が撮影)シャーマンになった若い娘とその両親。シャーマンに乗り移る精霊は先祖の霊なので、シャーマン自身は若くても、儀礼の際は「おじいさま」「おばあさま」と家族からあがめられる。逆にシャーマンは、上下関係によらず「幼子たちよ」と家族に呼びかける(島村氏が撮影)

姉妹でシャーマンに!

島村氏は、モンゴルで広がるシャーマニズムはモンゴル人にとって傷ついたプライドを取り戻す手段だと明かす。

島村氏が引き合いに出した例に、ある女性シャーマンの話がある。 この女性はシャーマンになる前、高校を卒業して結婚・出産したが、生活がうまくいかず離婚を繰り返していた。対照的に女性の妹は、大学で専攻した韓国語を生かして通訳の仕事に就く。「この妹はiPhoneを買えるほど裕福で、おまけに美人だった」と島村氏は言う。

不遇な運命をどうにかしたいと女性がシャーマンに相談したところ、自らシャーマンになることに。精霊が乗り移って自分の意識とは別の言葉を口にする状態になったとき、隠していた妹への嫉妬心が女性の言動に表れるという。「シャーマンの姉が妹のiPhoneをたたき割った瞬間を見た」と島村氏は驚く。

「自分の心の内にある思いが、呼び寄せる精霊と一緒にシャーマンに乗り移る。この女性のシャーマンはこのため、(自分より幸せそうな)妹に強く当たってしまったのだろう」と島村氏。だが数年後に島村氏がこの姉妹の家を訪れると、驚くことに妹もシャーマンになっていたという。

モンゴル人がシャーマニズムにすがる理由を島村氏はこう説明する。

「(モンゴルに根付く)チベット仏教だと、僧侶がお経を読む『サービス』で終わってしまう。でもシャーマニズムは『辛いことがあったな。大変だったな。私の弟子になって付いてこい』とシャーマンが最後まで寄り添ってくれる」

シャーマンかクリスチャンか

とはいえ、シャーマン増殖現象は過ぎ去った。モンゴル国内のシャーマンの数は今では数千人に減少した。この理由について島村氏は「シャーマンになっても、やはり自分の傷ついたプライドは満たされないと気づいたのではないか」と推測する。

代わりに増えてきたのは、キリスト教(プロテスタント)の信者だ。韓国人の宣教師による布教が進み、今では人口の約5%を占める。島村氏は「今のモンゴル人にとって、つらいときはシャーマンになるかクリスチャンになるかの二択だ」と話す。

キリスト教だけではなく、新興宗教も広がる。島村氏によれば、モンゴルの最近のブームは、自分の生まれ変わりの活仏を探したり、つぼやタンスを祀るとお金が手に入ると信じたりするものだ。

モンゴル人が心のよりどころを次々と探す原因のひとつは、貧富の格差にある。民主化した1992年以降、欧米諸国から首都ウランバートルにグローバル化と資本主義経済が一気に流入。日本車をはじめとする外国ブランドの商品を次々と手に入れる人がいる半面、買えずに諦める人がいる。貧富の格差は、社会主義時代にはなかったものだ。

島村氏は「シャーマンの増加を単にモンゴルだけの現象ととらえてほしくない。グローバル化と資本主義がもたらす貧富の格差のしわよせが、今のモンゴル社会だ」と語る。

シャーマンが使う道具(太鼓など)は、首都ウランバートル市内の市場でも売られている(島村氏が撮影)

シャーマンが使う道具(太鼓など)は、首都ウランバートル市内の市場でも売られている(島村氏が撮影)

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