フィリピンで活躍する日本人コメディアンがいた! 日本のイメージを笑いに変える

ネタを終えて、エンディング写真を撮るコメディアンたち(マニラ首都圏にある劇場Teatrinoで撮影)

スラムで14人家族と同居

堀越さんがフィリピンにやって来たのは2016年4月。きっかけは吉本興業がアジア各国に芸人を派遣する「アジア住みますプロジェクト」に応募したことだ。オーディションに受かり、後輩の芸人2人とともにマニラ首都圏のケソン市に移り住んだ。「海外に行くこと自体初めて。タガログ語はもちろん、英語もまったくしゃべれなかった」と当時を振り返る。

2017年4月からは、マニラ市の北西部にある世界有数のスラム街トンドで生活。14人家族の家で寝食をともにする。一家の母親は20年以上日本に暮らした経験をもつ。彼女の5人の子どもたちは日本人とのハーフだ。「トンドというと汚く危ないイメージがあった。実際に行ってみると、それは一部のエリアだけ。冗談半分でお母さんに『今日からここに住んでいい?』と聞いたら、快く受け入れてくれた」(同)

女装はしないの?

フィリピンで仕事をする上で戸惑ったことのひとつが、コメディー文化の違いだ。フィリピンのテレビなどに出ているコメディアンの多くはニューハーフ。歌ったり踊ったり毒舌を言ったりする。「僕たちも『女装しないの?』とよく聞かれた。抵抗はあったが、ここで活躍するためにはしたほうがいいのかなと迷っていた」(堀越さん)

転機となったのが、フィリピンの民放テレビ局ABS-CBNのお昼番組「It’s Showtime」で、2017年10月に放送されたお笑いショーレース「Funny One!」への出場だ。後輩2人と「ハポンスリー(HPN3)」というユニットを組み、侍のコントをした。エントリー数が200組を超える中、ベスト8にまで進出。「ABS-CBNは民放の2大巨頭のひとつ。視聴率は50%近い。しかも僕たちは唯一の外国人。敗者復活戦も含めて4~5回そこに出られたので、知名度がぐんと上がった」(同)

ショーレースで起きた忘れられない出来事がある。対決したコメディアンのひとりがネタを披露した後、「あの戦争を思い出せ。今こそフィリピン人はひとつになろう!」と観客に呼びかけたのだ。観客の票がそのコメディアンに集まりハポンスリーは負けてしまった。「そのとき言葉がわからずただ笑っていたのが今でも悔しい。でも他のコメディアンたちが『ショーレースの場で戦争を持ち出すのは失礼だ』と一緒になって怒ってくれて気持ちが晴れた」(同)

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