メキシコの天才画家フリーダ・カーロが書いた絵日記、ファン待望の日本語版が出版

フリーダ・カーロの絵日記の一部。翼が生えた自画像。植物と一体化し、火で焼かれているフリーダ・カーロの絵日記の一部。翼が生えた自画像。植物と一体化し、火で焼かれている

「メキシコで誰もが知る天才画家フリーダ・カーロの壮絶で情熱的な人生を知ってほしい」。そう語るのは、会社員として働きながら、スペイン語圏の詩や絵本を翻訳する星野由美さんだ。星野さんが手がけた、フリーダが晩年に残した絵日記の日本語版『フリーダ・カーロの日記―新たなまなざし―』(冨山房インターナショナル)がついに出版された。

「私は2度の事故にあった」

フリーダは20世紀前半に活躍したメキシコの女性画家。生涯に残した200点を超える絵の大半が自画像だ。代表作は、メキシコ神話をモチーフにした「猿のいる自画像」(メキシコの神話で猿は欲望のシンボル)や、自分の夫と妹が不倫した際の衝撃を実際の殺人事件に重ねた「ちょっとした刺し傷」など。

フリーダは壮絶な人生を送ったことでも有名だ。6歳で小児麻痺を患う。右足の成長が止まり、痛みと壊死のため晩年には切断した。18歳のとき、通学に使っていたバスが路面電車と衝突。鉄棒が腹部を貫通した。この傷がもとで流産を3回経験。47歳で亡くなるまでに受けた手術は30回を超える。

フリーダ・カーロの日記は、フリーダが晩年の10年間(1944~54年)につづったもの。内容は、幼いころの記憶や死への恐怖、同じく天才画家である夫ディエゴ・リベラへの愛情などだ。星野さんは「彼女の生き方は一本筋が通っていてかっこいい。ただこの絵日記には、伝記には書かれないフリーダの生身の声が書かれている。だから周囲が期待する強い女性像とは違い、弱さを吐露しているところもある」と話す。

フリーダ・カーロの日記を訳した中で、星野さんが特に印象に残った文章が3つある。1つ目はこれだ。

「ディエゴ 始まり ディエゴ 創設者 ディエゴ 私の子 ディエゴ 私の恋人 (中略) なぜ私は彼のことを私のディエゴと呼ぶのだろう。彼はこれまで一度も私のものにならなかったし、これから先も決して私のものにはならないのに。だって、彼は彼自身なのだから」

ディエゴはフリーダより20歳年上だ。自分が描いた絵をフリーダがディエゴに見せて批評を頼んだことから交際が始まった。結婚したのは2人が22歳と42歳のときだ。

ところが夫婦生活は波乱に満ちていた。ディエゴは若いときから遊び人。そのうえフリーダが画家として認められ始めたころ、不倫を繰り返すようになる。ディエゴの不倫相手のひとりはフリーダの実の妹だ。ディエゴが不倫する度にフリーダは激怒。フリーダもまた、彫刻家や政治家などと関係をもつ。

結婚9年目で2人は1度離婚。だが翌年には再婚した。一筋縄ではいかないディエゴとの関係についてフリーダは「私は生涯で2度の事故に遭った。交通事故とディエゴだ」と語っている。

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