【ルポ・ミャンマーからの逃亡者を追う④】ミャンマー国軍の悪事を世界に伝える“秘密結社”のアジトへ行く

政治犯支援協会(AAPP)の執行役員を務めるコンゲ。ヤンゴンのインセイン刑務所に6年にわたって収容された経験をもつ。現在は、拷問を受けたミャンマー人への無料カウンセリング事業の責任者

タイ側にあるミャンマーとの国境の町、メーソットを潜入取材する「ルポ・ミャンマーからの逃亡者を追う」。第4回は、知る人ぞ知る、ミャンマー国軍の犯罪行為を世界に発信する気骨の民主派団体の話。軍事クーデターが2021年2月1日に起きる前から20年にわたって国軍と対峙する彼らの不屈の精神の根源とは。これまでのストーリーはこちら第1回第2回第3回)。

秘密結社AAPP

「そうそう、日本人のジャーナリスト(筆者のこと)。全然怪しくないから。動画は撮らないから大丈夫。話を聞いてそれを記事にするだけ」

ブワイ(フィクサーを務めてくれるカレン族の青年)が電話越しに取材のアポをとってくれている。OKが出るか心配だった私は電話が終わった後、ブワイにすぐに尋ねた。

「どうだった?」

するとブワイは笑顔でこう答えた。

「来てもいいよだってさ。だけど動画はダメ。外観の写真を撮るのも禁止」

普通の人が聞いたらえらい心配性だなと思うかもしれない。だがそれも仕方ない。今回取材するのは、世界的に名が知られているにもかかわらず、その場所や素性はベールに包まれた秘密結社のような組織なのだ。

それは政治犯支援協会(AAPP)。政治犯として懲役刑を受けたミャンマー人らが2000年にメーソットで立ち上げた民主派団体だ。軍事クーデターが起きてからは、国軍の弾圧で命を落とした一般市民や、不法に拘束された人たちの数を毎日ウェブサイトで報告している。その数字の正確さから、BBCやCNN、アルジャジーラといった名だたるメディアがAAPPの数字を引用する。

ブワイという有能なフィクサーのおかげでつながったAAPP。私はブワイに昼飯をおごり、彼のバイクの後ろに乗ってAAPPのアジトへと向かった。

メーソットの市内をブワイのバイクが疾走する中、私はこれまでの取材を思い返した。

ミャンマーを離れた後も、ボランティアで避難民をサポートし続けるジェームス「刺し違えても国軍をぶち殺す」と言っていた民主活動家のH。強大な軍事力を誇るミャンマー国軍を前にしても諦めない彼らのこの不屈の精神はどこから来るのか。

取材を続けるごとにこの疑問が私の中でふつふつと大きくなっていった。これに答えられるのは、メーソットで20年以上も反国軍の活動を続けてきたAAPPしかいない。私はこう考え、ブワイにAAPPの取材を組んでくれるよう頼み込んだのだった。

八百屋の裏

「ここだよ」

メーソットの中心街から少し外れた通路でブワイはバイクを止めた。人々が行き交い、すぐそばの八百屋ではおばちゃんがトマトを売っている。犬が道路のど真ん中に横たわっているようなタイでは見慣れた街角の風景だ。

「ここなの?!」。ベールに包まれた秘密結社のアジトが、こんなほんわかしたところにあるのか。薄暗い地下室のようなところにある、と勝手に想像していた私は驚いた。

そんな私をよそに、ブワイは八百屋の横の門をくぐり、バイクを押して中に入っていく。奥に進むと、東南アジアでは一般的な木造の高床式の家が現れた。家の横では、中年の男たちがパソコンで何かを調べている。私たちのことを横目でチラチラ見ながら、怪しんでいるようだった。

ブワイはそのまた奥に入っていき、初老の男性と話し出す。そして私のところに戻ってきて彼を紹介してくれた。

彼の名前はコンゲ。AAPPの執行役員のひとりだった。

コンゲは私を見るとにっこりと笑い、右手を差し出した。黒い大きなマスクを着けたコンゲ。表情は分かりづらかったが、目元のしわからコンゲが優しい人であることはひと目でわかった。私はコンゲと握手をすると、近くのテーブルに座り、取材を始めた。

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