ジャマイカで14年活動した体操コーチ、刺激満点な途上国から平和な日本に戻って何を思う?

ジャマイカの休日は家族そろっての海遊びが定番だった(左から2人目が西田さん)ジャマイカの休日は家族そろっての海遊びが定番だった(左から2人目が西田さん)

「人生、面白くないことはしたくない」。こう話すのは、元青年海外協力隊員の西田慎さん(41)だ。大学を卒業してから協力隊で赴任したジャマイカに任期後も残り、27歳のころから体操教室を14年にわたって経営。2019年に日本へ帰国し、現在は京都市伏見区で暮らす。途上国で結婚・子育てを経験し、青年時代をまるっと過ごした男性が日本に帰った今、何を思うのか。その真意に迫る。

日本でも懲りずに体操教室

途上国での生活の末、西田さんが第一に思ったのは「仕事が全てではない」ということだ。ジャマイカから帰国した後は、学生時代からの夢だった教師になる道も考えた。だが、自分の好きな時間に働けるようにと自前で体操教室を開いた。西田さんが教室に立ち生徒に教えるのは月・火・木・土の週4日だけだ。

仕事に割く時間よりも、西田さんが優先するのは家族との時間。休みの日のほとんどを家族のために使う。3歳の子どもと平日の朝から近所の川で魚捕りをして過ごす日もあるという。

「日本だと男はサラリーマンが当たり前。毎日働きに出るべきという社会の目がある。対照的にジャマイカでは気ままに働いて、気ままに暮らす人が多い。周りの目を気にしないで、自分の時間を自由に使う生活の心地良さに気づいた。子どもが幼いうちは仕事に時間をかけるよりも、あっという間に過ぎる子どもの成長期を見守ることを最優先にしている」(西田さん)

気持ちはいつでも20代

2つ目に西田さんが思ったことは、困難の中でも「人生は楽しんだ者勝ち」ということだ。「体操後進国のジャマイカで自分の体操教室を開いて子どもたちに体操を広めるチャレンジは、若き日の自分が考えていたより簡単ではなかった。それでも苦労を乗り越えたことは誰にも負けない人生のネタになった」と西田さんは苦笑いしながら振り返る。

ジャマイカでなによりも苦しかったのはお金に余裕がなかったことだ。教室を始めた当初の生徒は10人程度。経営は自転車操業。西田さんは協力隊時代の貯金350万円を切り崩し、体操器具を一からそろえたり、生徒の月謝だけでは足りない教室の賃料やコーチの人件費をまかなっていたという。

数年後に経営が軌道に乗ってきてからも時折、教室の収入が減った厳しい時期を経験した。2015年に起きたジャマイカ経済危機では生徒が激減。日本にいる両親にお金を借りるほどだった。

困難を乗り越えてきた秘訣を、西田さんは「いつまでも20代のままの気持ちで、面白いと思ったら飛び込んでやってみること」と話す。人と違うことに挑戦して崖っぷちに立たされながらも試行錯誤で乗り越える日々は、西田さんにとってはむしろ最高に刺激的で楽しかったそうだ。

“誰にも負けないネタ”を生かして、現在は小中学校での講演会の依頼も受けている。「ジャマイカのチャレンジ話を子どもたちに話していると、かつての夢だった教師になったように感じる。困難を楽しんで乗り越えたおかげで、昔の夢まで叶えられて一石二鳥だ」と西田さんは語る。

日本各地の小中学校で講演する西田さん。ジャマイカでの経験を振り返り、「悔いのない人生を」と子どもたちに語りかける

日本各地の小中学校で講演する西田さん。ジャマイカでの経験を振り返り、「悔いのない人生を」と子どもたちに語りかける

1 2