【闘うカレー活動家・保芦ヒロスケさん②】ミャンマー国軍に弾圧されてもデモに参加した、「友だちは見捨てられない」

ミャンマー料理研究家の保芦ヒロスケさん。ミャンマー各地を訪れ、カレーを食べ比べる(保芦さん提供)ミャンマー料理研究家の保芦ヒロスケさん。レトルトのミャンマーカレーを日本とミャンマーで開発した(保芦さん提供)

日本大使館前でプラカード掲げる 

保芦さんは当時、国連や大使館の職員などが暮らす高級住宅地に住んでいた。だがインターネットが徐々につながらなくなった。ここにいてはミャンマー人が今、何を感じているのかわからない。こう思った保芦さんは、ダウンタウンに住む友人夫婦の家に身を寄せるようになった。

ミャンマーの市民は国軍に反対するデモ活動を始めた。保芦さんの友人たちもみんな、デモに参加する。だが保芦さんは躊躇した。

「2007年のサフラン革命のとき、日本人ジャーナリストの長井(健司)さんが撃たれて亡くなった。デモに参加するのは怖い」

だがある時、女性の友人が、保芦さんが寝泊りしていたダウンタウンの家に来てこう聞いた。

「今からデモに行くから、荷物をここに置いていってもいい?」

保芦さんはこの時のことをこう振り返る。

「彼女に対して『いいよ、行ってらっしゃい』とは言えなかった。男のプライドなのか。『俺も行く』と言ってしまった」

足取り重くデモに向かう。だが会場に着くと、予想に反してデモは平和的だった。プラカードを掲げたり、行進したり、どこかお祭りのよう。笑顔を見せるミャンマー人も多くいた。

保芦さんが感動したのは、デモの参加者が一斉に歌いだした時だ。ビルマ語がわからない保芦さんだったが、数千、数万のミャンマー人がともに歌う姿に胸を打たれた。

「起きていることは悲惨だが、こういったときにミャンマー人はひとつにまとまれる。この時の感動をずっと忘れたくないと思った」

保芦さんは以降、デモに毎日参加するようになる。人が多く集まるミニゴンの交差点やスーレーパゴダの周辺にも友人とともに足を運んだ。「不要不急の外出は控えてください」と日本人に注意喚起する在ミャンマー日本人大使館の前でプラカードも掲げた。

2021年2月にヤンゴンでミャンマー人の友人と一緒にデモに参加する保芦さん(右)。この時はまだリラックスした雰囲気だった(保芦さん提供)

2021年2月にヤンゴンでミャンマー人の友人と一緒にデモに参加する保芦さん(右)。この時はまだリラックスした雰囲気だった(保芦さん提供)

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