厳冬のウクライナで深刻な電力不足、AARが福祉施設に発電機12台提供

知的障害者親の会「ジェレラ」のメンバーたち。知的障がい者の息子がいるライサ・クラウチェンコ理事長がジェレラを立ち上げたのが1994年。今では180組が所属する(写真提供:AAR Japan)知的障害者親の会「ジェレラ」のメンバーたち。知的障がい者の息子がいるライサ・クラウチェンコ理事長がジェレラを立ち上げたのが1994年。今では180組が所属する(写真提供:AAR Japan)

楽しく遊べると笑顔

AARはこのほかにも、ウクライナの南西に位置するモルドバに逃れたウクライナ難民への支援を続ける。

モルドバは人口260万人ほどの国。そこに68万人のウクライナ難民が流入した。AARは現在までに6万人以上のウクライナ難民に生活必需品や食事、食材などを配ってきた。

AARが提供するのは物資だけではない。ルーマニアの国境に近いモルドバ北部にあるファレシュティ県で運営するのは、ウクライナ難民の子どもとモルドバの子どもの交流の場「チャイルド・フレンドリー・スペース(CFS)」だ。

ファレシュティには2022年9月の時点で約250人のウクライナ難民が避難した。このなかには、定住を決めた人も多いという。1月に訪問したAAR東京事務局の八木純二さんは「ウクライナ難民が地域に慣れていくために、モルドバの親子との交流の場を設置した」とCFSの意義を説明する。

CFSの目的のひとつは「子どもが子どもらしくいられる場所」を提供することだ。ここでは親子が工作をしたり歌を歌ったりする。12歳の女の子も「楽しく遊べる」と笑顔だ。

ウクライナ銃兵隊の歌

もうひとつの目的は、母親同士の交流を促すこと。親せきを頼ってウクライナ東部のルガンスク州から避難したイリナ・ピラストゥさんは「私のような母親が来ることも歓迎してくれる」と話す。

ただ、ここに来るまでに壮絶な出来事を経験した親子も少なくない。ウクライナ南東部のドネツク州出身のカテリーナ・ドリーガさんは「ロシアの侵攻が始まった日に行方不明になった弟は、1カ月後に川の中で遺体で見つかった。犯人はわからない。弟のように兵士ではない民間人が殺されることも多い」と苦しい過去を吐露する。

八木さんは「CFSは(同じ苦しみを抱える人との交流で)母親の心理的負担を軽減する場所にもなっている」と話す。

八木さんが最も心を動かされたのは、ウクライナとモルドバの親子が「紅いカリーナは草原に」を合唱したときだ。第一次世界大戦でロシア軍と戦ったウクライナ銃兵隊の歌を、ウクライナの勝利を願う人たちが今でも歌い継ぐ。「CFSのスタッフや通訳は涙ぐみながら聞き入っていた」(八木さん)

ウクライナとロシアの対立の根は深い。今回のキーウ視察で中坪さんは、ロシアのウクライナ侵攻は2022年から始まったものではないと感じた。「ウクライナの市民は、2014年のクリミア併合から8〜9年間戦っているという認識だ。ウクライナは最後まで戦うという静かな覚悟を感じた。日本からも息の長い支援を続けてほしい」と話す。

ウクライナ南東部のドネツク州からモルドバに避難したカテリーナ・ドリーガさん(右)。現在はNGOの代表としてオンラインでウクライナ国内避難民の支援を続ける(写真提供:AAR Japan)

ウクライナ南東部のドネツク州からモルドバに避難したカテリーナ・ドリーガさん(右)。現在はNGOの代表としてオンラインでウクライナ国内避難民の支援を続ける(写真提供:AAR Japan)

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