“貧貧支援”に限界? 支え合い文化のあるベナンでも助けられない

エリザベスさんが建てた小屋の中。自分は食べなくても3歳の孫を食べさせるのに必死だ。自分が建てた小屋の中ではにかむエリザベスさん。自分は食べなくても3歳の孫を食べさせるのに必死だ

「食事は毎日食べられない」

エリザベスさんにとって新しい生活も変わらず厳しい。食べていけないため、持っていた自分の畑を8万CFAフラン(およそ1万6000円)で売った。今は他の人の畑を借りてトウモロコシとキャッサバを育てている。1年に2回の収穫期で採れる作物は、半分を地代として地主に渡し、残りの半分がエリザベスさんのものになる。次の収穫期の4月まで食いつなぐしかないが、ストックは3人が2カ月食べるには心もとない。

ニベ村はこの辺りでは最も貧しい村。故郷に戻ってきても、困窮するエリザベスさんを助けてくれる人はいない。村人もギリギリの暮らしなのだ。近くの村に住む長女のミレイさん(37)がお金をくれることもあるので、村で売っている食べ物をエリザベスさんは少し買って糊口をしのぐときもある。

一緒に暮らす3女のオディルさん(22)が婦人服をつくる見習い修行を終えたのは2年前。サンダルと布(パーニュ)の売り方も学んだものの、いいまだに仕立屋を始めるのに必要なミシン(8万CFAフラン=およそ1万6000円)を買うにも商品を仕入れるにもお金がない。今は炭を買ってきて、ひもでくくり、それを売る。雀の涙ほどの金額にしかならないという。

オディルさんが仕事を始められるまで、エリザベスさん一家の厳しい生活は続く。「助け合い精神にあふれたベナンでも、自分が貧しければ他人を助けられない」と村人は口をそろえる。

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