【西サハラの声②】弾圧される伝統音楽家「それでも私は歌い続ける」

ハッサニー音楽の歌い手であるマライニン・シェークシド・ブラヒムさん。モロッコ警察は、西サハラの民サハラーウィの伝統音楽を伝えるブラヒムさんを目の敵にする ハッサニー音楽の歌い手であるマライニン・シェークシド・ブラヒムさん。モロッコ警察は、西サハラの民サハラーウィの伝統音楽を伝えるブラヒムさんを目の敵にする

サハラーウィの叙事詩を歌う

だがブラヒムさんは歌うことをやめない。なぜならハッサニー音楽が西サハラの独立を後押しすると信じているからだ。

サハラーウィの叙事詩を歌うハッサニー音楽。歌詞は次のようなものだ。

「1975年(モロッコが西サハラに侵攻した年)を境に生活は一変した。資産は奪われ、故郷を追われた。壁(モロッコが建設した2700キロメートルにも及ぶ通称・砂の壁)は西サハラを分断し、人々を離れ離れに。モロッコ人は西サハラに苦しみと惨めさをもたらした。やつらは私たちにモロッコ人と同じ生活をしろと迫る。だがそんなことはできない。私たちはサハラーウィだ、平和の民、サハラーウィだ」

サハラーウィはブラヒムさんの歌を聞いてノスタルジーを感じ、民族のプライドを取り戻すという。

「モロッコ政府の嫌がらせにより、多くの友人が歌うのをやめてしまった。私がやめたらハッサニー音楽を後世に伝える人がいなくなる。私はサハラーウィの文化を守るため、これからも歌い続ける」とブラヒムさんは心の内を吐露する。(続く

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