【西サハラの声⑤】拘束・拷問・妻のレイプ被害、サハラーウィ人権活動家アリ・サレム・タメックさん「それでも希望を失わない」

サハラーウィの著名な人権活動家アリ・サレム・タメックさん。人権団体「サハラーウィ人権活動家集団 (CODESA) 」の代表を務めるサハラーウィの著名な人権活動家アリ・サレム・タメックさん。人権団体「サハラーウィ人権活動家集団 (CODESA) 」の代表を務める

前妻が娘の前でレイプ

モロッコ当局からの嫌がらせはタメックさん本人だけにとどまらなかった。タメックさんの前妻アイシャトゥ・ラムダン・シャフィさんは2003年7月、モロッコ南西部の街アガディール近郊のアイット・メルールの刑務所でタメックさんに面会した帰りに、モロッコの秘密部隊5人に襲われた。

スペイン紙エルムンドに掲載されたシャフィさんの証言によると、秘密部隊は彼女にモロッコ側のスパイとなってタメックさんの情報を提供するよう迫ったという。それを断ったシャフィさんは3歳の娘の前で服を脱がされレイプ、尿をかけられた。

シャフィさんはその後、娘とともにスペインに亡命した。だがこの経験がトラウマになり、今も精神科に通院しているとのことだ。

タメックさんがこの事実を知ったのは、出所した後の2004年だった。この時の気持ちをこう語る。

「レイプの話を聞いた時はショックで気が動転した。その苦しみは言葉では表せない」

また息子のオビーくん(当時7歳)も被害に遭った。オビーくんは、タメックさんの現在の妻カリファ・ラグビさんと彼女の友人と3人で道を歩いている時に警察に拘束され、パトカーの中に閉じ込められた。

ラグビさんが路上で警察に暴行されているのをオビーくんは車内から目撃すると恐怖からパニックに陥った。

友人がその後、オビーくんをパトカーから助け出し、病院へ急いで連れて行った。だがモロッコ人の医者はオビーくんの診察を拒否。薬すら出してくれなかった。

タメックさんは「モロッコ当局が事前に診察しないよう命令していたのだろう。オビーは以来、ちょっとしたことで失禁したり、恐怖でうなされるようになった。ひんぱんにパニックにもなる。家族が苦しむのは自分のこと以上につらい」と言う。

西サハラを独立させる

だがタメックさんは人権活動をやめない。2023年の10月にはCODESAの全国会議を初めて開催した。だが当日は、会場となったタメックさんの自宅を私服警官が包囲。やってくる参加者に暴行し、中に入らないよう妨害した。だがタメックさんは全国会議を実施。会場とオンラインあわせて130人以上が参加した。

モロッコ当局の報復を恐れ、口をつぐむサハラーウィもいる中、タメックさんがサハラーウィのための活動をやめないのは、西サハラは自分たちの土地だという強い信念があるからだ。「西サハラもパレスチナのケースと同じ。ここはサハラーウィの土地なんだ。正しいことを間違っているとは言えない」(タメックさん)

脅迫の恐怖に打ち勝つためにタメックさんは強調するのは、希望をもち続けることの大切さだ。

「(南アフリカ共和国の)ネルソン・マンデラはどれだけひどい仕打ちを受けても、希望を失わなかった。そしてアパルトヘイトを終わらせた。私もマンデラのように希望を失わず、いつか西サハラを独立させる」(終わり)

「国民の一番の敵」とタメックさんを非難するモロッコ政府に近い雑誌「マホク・エブド」の表紙(2005年7月)。タメックさんは幾度となく、「テロリスト」「ポリサリオ戦線のスパイ」などとメディアからバッシングを受けてきた

「国民の一番の敵」とタメックさんを非難するモロッコ政府に近い雑誌「マホク・エブド」の表紙(2005年7月)。タメックさんは幾度となく、「テロリスト」「ポリサリオ戦線のスパイ」などとメディアからバッシングを受けてきた

 

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