ベトナム・タイ族の歌は消えゆくのか、村の長老「若者にいま伝えるしかない」

コンクオン高校でホアンさん(中央)が授業をするところ。手に持つのは伝統的な竹笛のケーン

「タイ族の歌をいま若者に教えないと、30年後には消えてしまう」。こう危惧するのは、ベトナム北中部のゲアン省コンクオン郡で生まれ育ったタイ族の音楽家、レー・クオック・ホアンさん(男性、68)だ。タイ族の伝統的な曲を作るかたわら、地元の高校生にタイ族の言葉や民謡を教える。コンクオン郡は、ベトナムの主要民族キン族ではなく、タイ族が住民の7割を占める山岳地域だ。

ホアンさんは、ベトナム戦争が始まった2年後の1957年に生を受けた。農作業や祝いの席などで両親や村人が歌うタイ族の民謡をずっと聞いてきた。気が付けば自身も竹笛ケーンの虜になり、十代のうちから演奏と作曲を自力で学び始める。「民謡は空気のように身近だった」と語る。

「自らの文化への愛情、タイ族のアイデンティティを音楽を通して伝えたい」。ゲアン省の省都ビンの医科大学を1980年に卒業した後、ホアンさんはコンクオン郡で看護師として働きながら作曲を継続。タイ族の言葉とベトナム語を織り交ぜたは民族の壁を超えて人気を得た。民族芸能家が全国から集まるコンクールにも多く出演し、これまで63の受賞歴がある。「60曲以上を作った」と言う。

ちなみにベトナムのタイ族の言葉は、タイのタイ語とかなり似ているものの、同じではない。ベトナムのタイ族同士でも微妙に異なるという。文字もあるが同様に、タイ語と同じではなく、またベトナム北部のタイ族が使うものとは少し違う。

そんなホアンさんにコンクオン郡から、タイ族の伝統文化を継承・保全する「請負人」の依頼が来たのが2013年だ。タイ族の若者が都市へ流出し、村が高齢化していくなかで伝統文化を知る人が激減。文化の消滅が現実味を帯びだしたからだ。

タイ族の体験を観光のウリにするコンクオン郡にとっても死活問題。そこでタイ族の言葉も民謡も熟知したホアンさんに白羽の矢が立ったのだ。「タイ族であっても私たちは学校の中も、家庭の中もベトナム語を使っている。言葉も歌も誰も教えない。だから私が動くしかない」(ホアンさん)

ホアンさんは2013年から地元の高校に出向き、1年に1〜3カ月、週2〜3コマを使って授業をしてきた。ゲアン省独自のタイ文字、民謡、ケーンの扱い方、踊りを系統立てて伝える。希望者が放課後に活動できるクラブも立ち上げた。

ホアンさんの教え子はすでに1000人以上を数える。その中には観光ショーの踊り手としてタイ族の文化を旅行者に伝えながら生計を立てる者もいる。「コンクオン郡を出る人も残る人も、タイ族の言葉の美しさ、民謡の優雅さ、そして民族の誇りを決して忘れないでほしい」とホアンさん。死ぬまで教え続けることが目標だ。

コンクオン高校の生徒にケーンの使い方を教える

「観光村」の女性たちへはタイ族の伝統的な踊りを指導する。タイ族ダンスグループや高齢のタイ族女性グループからも引っ張りだこのホアンさん(一番左)。ホアンさんは2019年、ベトナム国家主席から「優秀芸術家」の称号を授与された