「日本に来たことを後悔する」難民ら、悲惨な状況は変わらない

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日本に来たことを悔いている。日本は難民にはやさしい国ではなかった――。1000人を超える「難民認定希望者」が毎年、ネパールやトルコなどから日本にやってくる。日本を目指すのは、この国が平和で安全だと信じていたからだ。ところが難民認定希望者の多くはその後、日本に来たことに失望するという。

その理由は大きく分けて4つ。「難民としての認定がなかなか受けられないこと」「難民申請中に収監される外国人収容所の環境が劣悪なこと」「難民認定されても、生活が保障されないこと」「認定されない場合の強制送還に怯えること」だ。

■認定率はたったの0.6

日本の難民認定率は高い年でも5%程度でしかない。2012年は、難民申請者2545人に対し、認定されたのはたったの18人。認定率はわずか0.6%だった。これは、あらゆるリスクを冒して危険な母国を脱し、日本に到着しても、さほど希望がないことを意味する。

これに比べて米国の難民認定率は66%(11年)にも達する。比較的低いといわれるドイツでも21%(同)。日本の難民認定率の低さは先進国の中で際立っている。

難民認定の手続きには短くても数カ月は要する。不認定となった際の異議申し立てや裁判手続きを含めると数年以上かかる場合もある。難民申請者は、膨大な書類を日本語で書く必要があるが、このことも認定を難しくさせている。

日本政府に難民認定を申請する人の主な出身国はネパール、トルコ、スリランカ、ミャンマーの4カ国だ。ところが出身国によっても、認定率の良し悪しが変わるという。06~12年に1258人のトルコ出身者が難民申請をしたが、全員が却下された。

■「難民」になれても厳しい生活

外国人収容所の劣悪な環境も問題だ。「刑務所よりもひどい」と表現する人すらいる。

外国人収容所の個室にはトイレしかない。完全な密室で、外部と連絡を取ることは許されない。このため難民申請者はほぼ何もしないで1日を過ごすという。いつ解放されるかもわからない。

外国人収容所の職員や、密室に一緒に収容されている言葉の通じない他民族との間で暴力沙汰に発展することもある。このため深刻な後遺障害や精神障害をわずらってしまう人もいる。だが医療設備も不十分で、満足な治療は受けられない。

外国人収容所から仮釈放された難民申請者の生活も楽ではない。申請中に働くことが許されないため、生活苦に陥る。また保証人を頼める人が日本にいないこと、病気になっても払うことができない医療費、日本語を理解できないこと――など、いくつもの壁にぶち当たる。

ほんの一握りの「難民」になれたとしても、ホッと一息つける状態ではない。日本では難民の受け入れ制度が整っていない。日本社会での偏見もあり、厳しい生活を強いられることがざらだ。

不認定となった、または日本の法律に触れた外国人は強制送還(国外退去)される。強制送還者が暴れた場合、職員が暴行を加えたり、睡眠剤を投与したりすることがあるという。この結果、強制送還者が死亡したことも過去にはあった。

また、難民申請者の送還は、帰国先の刑務所に入れられるケースもあり危険だ。

■日本の難民支援にアムネスティも

日本の難民問題を懸念するアムネスティをはじめとする人権団体、キリスト教団体、市民団体などはここにきて、日本の外国人収容所を訪問し、難民申請者と面会するようになった。アムネスティ・インターナショナル日本難民チームによると、外部の監視の目が入ることで、強制送還の減少、収容所の待遇の改善など、変化の兆しは表れてきたという。日本で暮らす外国人も増え、難民に関心をもつ日本人が増えたのも改善の一因だ。

しかし、難民を認定しない、という日本政府が採る「排除の方針」は根本的に変わっていない。難民の保護をうたう難民条約に日本が加入して27年、日本にやってきた難民・難民申請者を取り巻く状況は相変わらず厳しい。(田中美有紀)