【ドミニカ共和国de協力隊(6)】自分のテリトリーがきれいなら問題なし? 「個」の文化からみる環境意識の欠如

発火したごみの様子発火したごみの様子

ドミニカ共和国に来て8カ月。最近、この国の暮らしのなかに「公」の意識が少し欠けているように感じることがある。例えば、私の職種である「環境教育」(青年海外協力隊員には「職種」がある)を進める上でもそうした場面によく出会う。

初めに違和感を感じたのは、この国に来てすぐのことだ。川の近くに住む家族が、水源近くにごみを捨て、川を汚しているという話を聞き、2回目の調査に行った。噂通り、水源に多くのごみが捨てられ、一部は発火し、もくもくと煙が立っていた。その様子を写真に納めているとき、近くに住む一人の青年が家から出てきたので話しかけた。「見て、川に捨てられたごみから燃えている。誰がこんなことをしたんだろう」。そう尋ねると、彼は「知らない。それより見てくれよ、この階段は僕が全部掃いてきれいにしたんだぜ。こっちを写真に撮ってくれ」と一方的に話す。私の言うことはお構いなしで、自分のやったことを誇らしげに主張する。

このやりとりが示すように、この国には、自分の生活領域以外に無関心の人が多い。自宅の中や前は必死で掃き掃除をするのに、一歩街に出れば平気でポイ捨てをする。「他人を配慮する気持ち」が少し欠如しているのだ。

同じような事例は他にもある。学校の巡回授業で、女性教員とごみのポイ捨てについて話していたときのことだ。彼女は「私のクラスでは、いつもポイ捨てを厳しく注意しているわ。そのお陰でみんな、授業中もごみ箱をきちんと使えているの。それぞれみんな自分のテリトリーを持っていて、その周りは必ず自分が責任を持ってきれいにするようしつけているのよ」

その話を聞いて、少し不思議に感じた。後ほど職場の同僚と話していると、「学校ではきちんとごみ箱を使うけども、一歩外に出るとポイ捨てをする子どもも少なくない」といった話も聞いた。自分のテリトリー外の清掃についての教育は、あまりなされていないことが分かった。

日本では「周りに迷惑をかけてはいけない」と昔から教えられ、「個」よりも「調和」を重視してきた。「個」を重視する価値観の国は多いだろうが、実際に生活の場でこのような価値観の違いを感じることはなかった。

日本の「調和」の文化、ドミニカ共和国の「個」の文化。それぞれに長所、短所があることに気付かされる。だが、ポイ捨て防止や環境保全の意識を高める上で、自分の領域以外はお構いなしに汚染しても良い、という考えはまかり通らない。環境保全の意識を高めるため、こうした考えを持つ人たちに対し、どのようにしたら効果的にアプローチができるのか。一人ひとりの行動が環境汚染につながっていること、また自分自身や自分の大切な人たちの生活環境を破壊していることをしっかりと意識してもらうよう、残りの任期中、ドミニカの人々の心に響く、この国に合った環境教育を見出して行きたい。(種中 恵)