再会拒む日本人の父に手紙を8年送り続けた日比国際児、「日本国籍が欲しい」

1127森さん、マリコさんNPO法人「JFCネットワーク」の設立20周年を記念して10月13日に新宿区で開かれたイベントで、タガログ語で熱い思いを語るマリコ・ラモスさん

「もし交通事故に巻き込まれたら、命よりビザを失うことが恐怖」。婚姻関係のない日本人男性とフィリピン人女性の間に生まれたマリコ・ラモスさん(36)は、日本の国籍をもたずに日本で暮らす不安を訴える。フィリピン生まれ、フィリピン育ちのジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン(JFC=日比国際児)。3年前から日本で働く。16歳のとき、裁判を経て「子」として父に認知され、2人は初めて会った。だが日本の国籍法は、日本人の親に認知された婚外子の日本国籍取得について「20歳未満であること」という年齢制限を課しているため、マリコさんは“日本人”になれない。

父に認知してもらうための闘いは忍耐の連続だった。マリコさんが父に、子として認知してほしいと手紙で伝えると、父は「お金を払うから認知はしない。今後一 切連絡をくれるな」と娘の気持ちを踏みにじった。司法手続きの結果、子として認知されたが、「たとえ認知されなくても、私たちはみんな幸福を追求し、なりたい自分になる権利があるはず」とマリコさんは話す。

父は認知した後、マリコさんとの交流を絶った。マリコさんは、日々の出来事を書きつづった日記のような手紙を8年間、父に一方的に送り続けたという。「日曜日に、家族でジョリビー(フィリピンで最も人気のあるファストフード店)に行くのが夢だった」とマリコさん。2003年5月、父からようやくメールが返ってきて“ジョリビーの夢”が叶った。「父への思いを諦めず、自分にできる最大限のことをやり続けてほしい。時間がかかることは往々にしてある」と、マリコさんは同じ境遇にあるJFCを勇気づける。

「(日本人の親に認知された子が)20歳を超えても日本の国籍を取得できる法律に変えてほしい」。マリコさんは国籍法の年齢制限に引っ掛かり、日本人の父から認知されているが日本国籍を取得する権利がない。もし仕事を失えば3年ビザを更新できなくなるといった不安を常に感じながら、日本で生活を送る。

2008年12月12日に国籍法が改正されたとき、2012年1月4日までに法務大臣に届け出れば、すでに20歳を超えている場合でも日本国籍を取得することができた。ところがマリコさんはその機会を逃した。「もし知っていたら、日本に住む計画がなくても国籍取得を申請したのに」と悔やむ。

2008年の国籍法改正で、出生後に日本人の父または母に認知されていれば、父母に婚姻関係がない場合も、届出によって日本国籍を取得できるようになった。ただし20歳未満であることが条件だ。婚姻の有無が子の国籍取得に影響することは、憲法14条の「法の下の平等」に違反すると、最高裁判所が2008年6月4日に司法判決を下したため、違憲状態を解消する必要があった。