難民は貧民ではない! マラウイの難民キャンプで見た「生きる貪欲さ」

1124香島さん、Pic_ジョンさんとこどもたち[1]ジョンさんと子どもたち。後ろには手作りの家が広がる

アフリカの最貧国のひとつマラウイには難民キャンプがひとつだけある。首都リロングウェから北に50キロメートルのところにある「ザレカ難民キャンプ」だ。約2万人が暮らすこのキャンプを訪問すると、難民はただ貧しい生活を送っているのではないことがわかる。そこには“祖国を捨てて生きることを選んだ人間”のたくましさと貪欲さがある。

■支援物資を売って稼ぐ

コンゴ民主共和国出身の男性、ブシリ・ジョン・アブケさん(31歳)は11年前、ささいな理由で両親が銃殺されたことから母国で暮らすことが嫌になり、このキャンプにやってきた。「逃げるならマラウイがいい」という話を信じ、着の身着のままでコンゴ民主共和国から1カ月歩いた。移動中は、寝るのは路上や木の下。川の水を飲み、人から恵まれるものを食べて命をつないだという。

ジョンさんは現在、キャンプで暮らすが、無職だ。けれども絶望感に打ちひしがれているわけではない。「どんな状況でも、ここで生きていくんだ」。世界食糧計画(WFP)が1カ月に1回支給してくれるメイズの粉などを販売して生活費を稼ぐ。仕事がないのは切実だ。だがないならないで支援物資を売り払う。

同じキャンプで暮らすソマリア人女性のファダマ・イブラヒム・アブディさん(21歳)は言う。「一番欲しいのは仕事。たとえ石けん作りでも、お金になるならそのやり方を教えてもらいたい」。現在無職のファダマさんはいま、米国のNGO「イエズス会難民サービス(JRS)」が支援するビジネススクールに通い、コンピューターや会計などビジネスの知識を学ぶ。このビジネススクールはザレカ難民キャンプの中にある。

駐マラウイ日本大使館の職員がザレカ難民キャンプを視察に来た際、ファダマさんは「難民の多くは仕事への意欲はあるが、キャンプの中では職を得るのが難しいこと。かといってキャンプの外へ移ることもできない」という厳しい現状を訴える文書を手渡した。文書は自分のパソコンで作成したという。21歳とは思えない行動力だ。

■商売は「差別化」を意識

たくましさは、ビジネスで成功する潜在性の高さにもつながる。マラウイ人と比較しても、キャンプの難民は、第一に言語能力が高い。第二に商売するうえでの工夫も怠らない。

難民らは実際、英語、フランス語、スワヒリ語、チェワ語(マラウイの現地語)に加えて、母国語まで話せる人が多い。マラウイ人はせいぜい英語とチェワ語だ。

キャンプの中にあるマーケットも特異だ。マラウイの一般的なマーケットにない野菜やその他の商品が多く並ぶだけでなく、その売り方もおもしろい。野菜だったら、付加価値を付けるために、すぐに調理できる大きさに切って売る。また個人が数種類の商品をテーブルの上に載せて売る。これは当たり前のようだが、マラウイでは、隣と同じ商品を地べたに並べて売るのが一般的だ。「ほかの店より売りたい。そのためには差別化する」といった意識がマラウイ人より明らかに強い。

ザレカ難民キャンプで暮らすのは、コンゴ民主共和国、ソマリア、ルワンダなどからやってきた人たち。このキャンプの特徴は、居住地は出身国ごとにブロック分けされ、そのエリア内に、自分で作ったレンガで家を建て、住めること。他の難民キャンプでは、家を建てることは許されず、テント暮らしを余儀なくされるという。

土からレンガを造る

土からレンガを造る

ザレカの難民は「祖国に帰りたい」とは言わない。難民になった理由は人それぞれだが、やはり大きいのは母国の政情不安。コンゴ民主共和国では銃の所持率が9割以上で、子どもでも銃をもつ。安心して暮らせないのなら、祖国を勇気をもって捨てる難民たち。生まれる国は選べないが、自ら選んで移り住んだマラウイで「生きる」執念は強い。