【環境と開発の接点(10)】インディヘナにみる環境、「自分で作れないもの」が「ごみ」になる

2007.09.01aパウイパというインディヘナの村。一番近い村までも歩けないほど離れている「陸の孤島」。地名の由来である『パフイ』(黒い鳥)は、13年前に移って来たときはたくさん生息していたが、全部食べてしまったとのこと

ケシが下痢止め­­! 薬も森から草を採ってくる

インディヘナの暮らしは自給自足が基本だ、というのは一昔前の話。かなりの奥地を除けば、町や村への買い出し抜きに生活は成り立たなくなってきている。

パウイパも同じ。コメやパスタ、砂糖、塩、油、せっけんなどは“外界”から持ってくる。といっても村にはキャッサバの畑もあるし、レモンやグアバ、アボカド、マンゴー、パパイヤなどもたわわに実っている。すぐ横を流れる川へ魚釣りにも行く。野生動物の狩りだってする。自給自足のスピリットは残っている。

狩猟は自分たちで作った弓矢でする。魚のえさに使うのは蜂の幼虫。それを葉っぱで巻いて川に投げる。すると腹を空かせた魚が寄ってくる。そこを狙って矢をパッと放つのだ。

その日に食べるものはその日に調達する、というのが鉄則。欲張っていっぱい捕まえても、冷蔵庫がないので、どっちみち腐ってしまう。“電気のないその日暮らし”は自然が豊かだからこそ実現可能であると同時に、捕り過ぎに歯止めをかける役割も果たしている。

パウイパでは薬もそこら辺りから摘んでくる。自生するケシの葉っぱをちぎると、乳液が出てくる。味はほとんどない。これを水と混ぜて飲む。すると下痢や血便に効果があるという。

「ウニャ・デ・ガト」(猫の爪という意味)という名の薬用植物も重宝している。文字通り、茎の変形した部分が「猫の爪」に似ているわけだが、鎮痛剤として効く。ハーブティーとして飲んでもレモン味がしておいしい。市販の薬にもウニャ・デ・ガトの成分(リンコフィリンなどのアルカロイド物質)が入っているといわれる。

ただその一方で、失われる文化もある。ふんどしを巻くのはやめ、Tシャツやズボンを身に付けるようになったし、木の葉っぱを泡立てて洗い物をしていたのが、いまでは市販のせっけんを利用するように。かつては緑トウガラシを噛んで済ませていた歯みがきも、いまや歯ブラシと歯磨き粉が欠かせない。

「きょうは君のため、あしたは自分のため」

インディヘナ文化の根幹にあるものは「分かち合い」だ。村の中に貧富の差はほとんどない。たとえば畑は各人が所有しているが、その畑に種をまいたり、収穫したりするときは村を挙げてやる。男たちが畑仕事をしている間に、女たちが飲み物を用意する。共同作業なのだ。

「きょうは君のため、あしたは自分のため」。ペモンの人たちはこのフレーズをよく口にする。“同じ場所”に住んでいるのだから格差をつける必要もない。一心同体、一蓮托生。反米・反資本主義を掲げる、この国のウーゴ・チャベス大統領も「ベネズエラが目指す社会主義の模範はインディヘナのコミュニティー」と公言する。

ベネズエラ南東部のインディヘナは歴史上「国」を建設することはなかった。しかしこれは見方を変えれば、彼らは「戦」(奪い合い)ではなく、「共助」(分かち合い)を実践してきたという何よりの証しにもなる。

ペモンの神話によると、その昔、自然の恵みの受け方をすべて知っていた「オレゴ」という女神が森にいた。その女神に教わって、ペモンは何でも自分で作るようになったという。それらを他のインディヘナと物々交換して暮らしてきた。

ところがここにきてペモンの村にも、たくさんの“オレゴが知らないもの”、つまり“自分たちが作れないもの”が流入してきた。その筆頭がプラスチック。いわゆる“石油文化”が、木の枝・実・葉っぱに支えられた“植物文化”を駆逐していく。

オレゴが知らないものはカネで買わなければならないし、要らなくなっても自然が咀嚼できない。「ごみ」となってどんどん溜まっていく。パウイパもごみの処理に頭を悩ますようになった。

「ペモン」とは彼らの言葉で「人」という意味。自然の一部から離れていく人の変わりざまを見て、オレゴは森の中で何を考えているのだろうか。(続き

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