シェムリアップ・ローカル市場の肉屋店主「僕の息子は医者なんだ」

プサー・ルー内で、ホアさんの顔を見るために店を訪れる人も少なくない。この笑顔に、訪れる人皆が明るくなる。(写真右がホアさん、左が妻のエアンさん)プサー・ルーの中で豚肉屋を経営するホアさん(写真右)。彼の顔を見るために店を訪れる人も少なくない。写真左は妻のエアンさん(カンボジア・シェムリアップ)

カンボジア・シェムリアップの人たちが通う「プサー(市場)・ルー」に、息子を医者にさせた豚肉屋の店主がいる。ホア・ダハさん(50)だ。彼の店の売り上げは1日最大約1750ドル(約18万3700円)。そのお金で息子を医学部に通わせた。ローカル市場で働く父親の子どもでも医者になれる――。これはまさに“プサー・ルー・ドリーム”だ。

カンボジアの大学で医学を学ぶには年間約3000ドル(約31万5000円)の学費が欠かせない。経済的な理由で、中退する学生も少なくない。ホアさんの息子が医学部を卒業できたのは、豚肉屋の稼ぎが大きかったからだ。店の売り上げは、プサー・ルーの他の店の4倍になる時もあるという。ホアさんの地道な努力が息子を卒業まで支え、医者へと導いた理由のひとつだ。

店を始めたのは15年前。当時のカンボジアでは大金だった1000ドル(約10万5000円)をホアさん自身が投じてプサー・ルーの区画を買った。豚肉を売ることに決めたのは「カンボジアで消費量が多く、一番利益が出ると考えたから」(ホアさん)だ。創業して徐々に、シェムリアップ市内のレストラン数軒に卸すようになった。

ホアさんはこんな意外な本音を話す。「(肉屋は)血が付くし、生肉を外に並べる売り方は不潔で好きではない。息子も、こんな汚い店で働くくらいなら勉強した方がいい、と幼いころ宣言した」。息子は宣言通り、誰よりも努力をした。

この仕事をホアさんが15年続けてきたのは、生計を立てるためだ。息子を医者にするきっかけを与えてくれた所でもある。「この店は好きではないけれど、僕にとって、希望の場所なんだ」

50歳になり、体力的に店頭に立つことが厳しくなってきたホアさん。あと5年で引退すると決めている。店はプサー・ルーで働く若者に貸す予定だ。

ホアさんが経営する豚肉屋「ストア86」。左右の台の上には、大胆に豚肉が置かれる。店舗の中には、注文を受けて豚をさばくための台や大型の冷蔵設備が備わる

ホアさんが経営する豚肉屋「ストア86」。左右の台の上には、大胆に豚肉が置かれる。店舗の中には、注文を受けて豚をさばくための台や大型の冷蔵設備が備わる