シャーマンかラッパーか
モンゴルでは、社会主義が崩壊して民主化が進んだ2000年ごろからシャーマンが急増。ピーク時の2011、12年はシャーマンの数が国内人口300万人の約1%にあたる2万~3万人にものぼったという。
島村氏によると、民主化で広がった貧富の格差によって、モンゴル人の中からラッパーやシャーマンが生まれた。モンゴル人がシャーマンになる理由について島村氏は「何か不幸があった時に、傷ついた自分のプライドを癒やそうとする。みじめな自分にも、(精霊になった)先祖や偉大な人物がついていると考えるのではないか」と解説する。
不幸のひとつが、首都ウランバートルにある貧富の格差。ゲル(モンゴルの遊牧民のテント)や簡素な家が建つため「ゲル地区」と呼ばれる貧困地区で生まれ育ったラッパーは多い。
ゲル地区出身の少年らが中心のグループ「ギャングスタ・セルヴィス」は2009年、「G地区」という曲を発表した。メンバーのひとり、Desantによると、Gの由来はゲル地区ではなく、ギャングスタやゲロイ(ロシア語でヒーロー)。モンゴルで唯一「本物のギャングスタ」の名をもつDesantは別の曲で、ゲル地区のことをモンゴルで初めてゲットー(少数派が隔離されて住む地域)と表現した。
「(ゲル地区出身のラッパーは)生まれ育ったゲル地区に誇りをもちながらも、ゲル地区やそこに住む自分のことをゴミやクズと呼ぶ。ギャングスタ文化ができあがっている」(島村氏)。島村氏によると、ウランバートルではゲル地区の住民を「黒人」、市内中心部の高級マンションに住む富裕層を「白人」と呼ぶこともある。
高級マンションに住むラッパーも少なくない。歌うラップは、モンゴル国内で最近人気のラブソングやチル系(落ち着いた癒やし系)がメインだ。ゲル地区出身のラッパーとはライバル関係にあるが、共通点はポリティカルラップを歌うこと。ナショナリズムや排外主義を訴えたり、モンゴル政府や国会議員を批判したりする。
たとえば、社会批判からコミカルなものまで幅広く歌うグループICETOP。2002年に発表した「76」という曲の歌詞には「実行しないくせに、口約束ばかりの76人にこの歌を捧げる」とある。76とは、モンゴルの国会議員の数だ。
3カ国のラッパーが集結
ラップの拡大はモンゴル国内にとどまらない。モンゴル系の民族が住む中国・内モンゴル自治区やロシア連邦内のブリヤート共和国だ。モンゴルとあわせて「モンゴル世界」とも呼ばれる。
モンゴル世界にラップが広がる前に起きたのが、モンゴルのシャーマニズムが国境を超える動き。この現象を島村氏はこう推測する。
「シャーマニズムの広がりのほうが10年ほど早い。ラップとはタイムラグがある。(別々の現象なので)ラッパーになったシャーマンが、ラップを『布教』しようと国を越えた話は聞いたことがない」(島村氏)
とはいえ、モンゴル世界のラッパーは国境を超えた結びつきを見せる。モンゴル、中国・内モンゴル自治区、ロシア・ブリヤート共和国のラッパーら10人が、共同で曲をつくって歌うプロジェクトが2018年に完了したのだ。曲名は「トーノト」で、10分間のプロモーションビデオもある。
島村氏は「(ラッパーらは)みんな別々のスタジオで歌った。ビデオの中でなんとかつなげたので、プロジェクトは2年がかり。画期的だが、もう二度とできないかもしれない」と話す。中国政府からの弾圧を受ける内モンゴル自治区では2018年以来、ラップを歌うことはできなくなったという。
内モンゴル自治区では2020年9月、ラップに続けてモンゴル語教育も禁止された。これを受けて島村氏は「中国やロシアの少数民族に対する抑圧の実情は厳しい。だが、ラップによるモンゴル人たちの連帯に一縷の望みを託したい」と語る。