【ルポ・ミャンマーからの逃亡者を追う③】「日本は中国と変わらない」と言われ私は黙るしかなかった

タイ・メーソットで取材に応じてくれた若手活動家のH。ヤンゴンで生まれ育ったが、ミャンマーで軍事クーデターが起きる少し前まではシンガポールでエンジニアとして働いていたタイ・メーソットで取材に応じてくれた若手活動家のH。ヤンゴンで生まれ育ったが、ミャンマーで軍事クーデターが起きる少し前まではシンガポールでエンジニアとして働いていた

逃がし屋のプロ

冷静に考えるとうなずける。国軍にまず命を狙われるのは、民主化運動をリードするインテリ層。アウンサンスーチーが率いる政党「国民民主連盟(NLD)」の政治家や、市民不服従運動(CDM=軍政に反対して医師や教師などが職務を放棄する運動)に参加する公務員、高学歴の若者たちだ。Hも、軍政に抗議するデモを何度も企画した民主派グループのリーダーだった。

海外勤務の経験もある29歳の若手活動家。そんな彼は今、メーソットで何をしているのか。私は単刀直入に聞いた。するとHは笑いながら答えた。

「ミャンマーからタイに逃げるのを手助けしている。早い話が『逃がし屋』さ」

国境を越えてメーソットに潜伏する数千人のミャンマー人。その裏にはHのような逃がし屋の存在があった。

だがタイ政府は現在、ミャンマー難民が不法に入国しないよう、モエイ川に沿って数十メートルおきに兵士を配置する。そう簡単に密入国できるはずがない。どうやってミッションを実行しているのか。興味を持った私はHに尋ねた。

するとHは申し訳なさそうにこう言った。

「詳しくは話せない。いろんな人間がかかわっているから」

いきなり出たノーコメント。確かにHの気持ちもわかる。みんなリスクを冒して脱出作戦を遂行しているのだろう。

だが、こっちもわざわざメーソットまで来て、「はいそうですか」と引き下がれない。私はしつこくHに食い下がった。Hはしぶしぶ、簡単なプロセスを教えてくれた。

「まずミャンマー側の国境地域を管理する少数民族の武装勢力が、脱走者をモエイ川の安全な川岸(ミャンマー側)に連れていく。そこには近くの村人が準備したボートが着けてあるので、それに乗って川を渡る。タイに着いたら、今度はタイ側の協力者が脱走者をピックアップして、メーソットの安全な宿に連れていくという流れさ」

確かに話を聞いただけでもさまざまな関係者が協力し合っているのがわかる。「それでHは何をするの?」と私は聞き返した。

「僕はすべての協力者をつなげるオーガナイザーさ」

Hの眼鏡がきらりと光った。だからだろうか、Hのスマホはさっきからずっと鳴りっぱなしだ。何本かの電話に出ては、関係者に指示を出しているようだった。

「今晩も脱出の計画があるんだ。ケースバイケースで時間や場所を変えるから、脱出が成功するまで気が抜けない」。Hはミャンマー脱出ミッションの司令塔だった。

カレン族への恩義

Hの話によると、ミャンマーとタイの国境で密入国を手助けをするエージェントはいくつもあるという。だがほとんどが有料。高い場合は2万~3万バーツ(約7万~10万円)を払わないといけない。

一方、Hは完全なボランティアだ。同胞にお金を要求することはない。なぜなら彼自身もさまざまな関係者の助けでメーソットにたどり着いたからだ。

ビルマ族とシャン族のハーフであるHは、ヤンゴンでも名の通った反国軍の活動家だった。だが国軍の弾圧が強まり、少しずつ仲間が拘束されていく。危険を感じたHは2021年6月、カレン族の反政府組織「カレン民族同盟(KNU)」が支配するカレン州の村に逃げ込んだ。その時の生活をHは振り返る。

「ヤンゴンで生まれ育った自分にとって、村での生活は楽ではなかった。初めての体験ばかりだったからね。だけどKNUが食事などの世話をしてくれた。カレン族でもない自分に対して。KNUには感謝してもしきれない」

その5カ月後(2021年11月)、メーソットにすでに入っていた同胞のサポートによりミャンマーを脱出したのだった。

「みんなのおかげでメーソットに来れた。次は自分が仲間を助ける番」

Hの表情は落ち着いていたが、彼の言葉に断固たる決意を感じた。

「この革命(軍政を倒し、民主主義を取り戻す今回の「春の革命」)は殺るか、殺れるかだ」と悲壮な決意を語るH

「この革命(軍政を倒し、民主主義を取り戻す今回の「春の革命」)は殺るか、殺れるかだ」と悲壮な決意を語るH

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