「バス代払えないから2割の子どもが小学校に通えない」、コロンビア貧困地区の過酷な現実

サンドラさんの運営するNGO「コアパス」とサンドラさん(右)。左の奥に見えるのが図書スペース。ここを拡張してコミュニティスクールを開きたいという

「小学校に通えない子どものためのコミュニティスクールを立ち上げたいの」。そう語るのは、コロンビア・メデジン郊外にある、貧困層が集まるアヒサル地区で生活向上のための支援を行うNGO「コアパス」代表のサンドラ・プエルタさん(46)だ。アヒサルでは5人に1人が小学校に通えない。

子どもが直面する2つの制約

「アヒサルの子どもたちが通える範囲には2つの小学校がある。でも1つは満員で入れないし、もう1つは遠すぎてアヒサルの住民にとっては交通費が高すぎて払えない」。サンドラさんはアヒサルの厳しい教育の現状についてこう語る。アヒサルでは、20%の子どもが小学校に、35%が高校に通えない。大学への進学率はほぼゼロだ。

その背景には「交通費」と「食」の問題がある。

遠いほうの小学校に通うためには往復5000ペソ(約180円)のバス代がかかる。これを月換算すれば10万ペソ(約3500円)。1カ月の最低賃金が116万ペソ(約3万4800円)のコロンビアで、子どもの交通費として家計の1割近くを捻出するのは厳しい。

また子どもたちは、学校へ行けたとしても、集中して勉強できない。1日3食とれないからだ。食事はコメとバナナ、またはコメだけの日も少なくないという。

「子どもたちが学校に行くのは給食を食べるため。けれども(朝ご飯を食べていないこともあって)給食だけでは不十分。家から学校までの往復も含め7〜8時間のエネルギーを1食で賄うのは厳しい」(サンドラさん)

起業して貧困から抜け出す

アヒサルの子どもたちにとって成功例となるのが、絶望から抜け出したサンドラさんと彼女の娘だ。

サンドラさんの出身地であるアンティオキア県ウラワは、バナナの栽培や牧畜業が盛んなところ。食べ物が豊富なこともあって、武装集団の抗争が特に激しかった場所だ。内戦の影響はもちろん民間人にも及び、1989年から1996年までの8年間で16万7178人の避難民を出した。サンドラさんも、その被害者の1人だ。

「抗争のさなかで夫が殺され、メデジンに逃げてきた。妊娠がわかったのはその後だった」。夫を失い国内避難民となったサンドラさんは、ウラワから10時間ほどかけメデジンへやってきた。

シングルマザーとなった彼女は当初、コロンビア政府による支援について全く知らなかった。だが内戦の被害者に政府が提供する奨学金があることがわかった。

「娘はそれを活用した。でも、ここ(アヒサル)に住む人たちはその存在を知らない」(サンドラさん)。奨学金のおかげで大学に進み卒業した、サンドラさんの娘は現在、 エステサロンを経営する。

家族の喪失、ひとり親、そして貧困‥‥こうした障壁を乗り越えて自らの手で人生を切り開いた娘の成功体験は、サンドラさんがアヒサルの教育状況の改善を目指す原動力となっている。

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