14歳で故郷を離れたルワンダ人女性、メイド・路上販売を経て仕立屋としてサバイバル

ルワンダの首都キガリ市にあるキミロンコ市場で服作りをしているオダ・ムヒムンドゥさん(22)。手にしているミシン1つで新天地に生きるルワンダの首都キガリにあるキミロンコ市場で服を仕立てるオダ・ムヒムンドゥさん(22)。笑顔がチャーミングだ。手にしたミシンひとつで新天地を生き抜く

ルワンダの首都キガリを代表するキミロンコ市場の一角を借りて、小さな仕立屋を営む女性がいる。オダ・ムヒムンドゥさん、22歳だ。故郷であるルワンダ南部州ニャマガベ郡から上京して8年。2023年1月から仕立屋になった。「だけど稼ぎが十分でないと続けられなくなる」と不安を吐露する。 

口減らしで上京

ムヒムンドゥさんが生まれたニャマガベは、食べ物や水が不足し、生活が苦しい地域だ。彼女の家庭も貧困にあえいでいたため、小学校を卒業した後、14歳のときに家を出た。家計の負担を軽くするための口減らし、彼女自身がより良い生活を手にすることを目的に、キガリですでに暮らしていたおばの家にお世話になることになった。

ひとりでバスに5時間乗って上京した。こうしたケースはルワンダでは少なくないという。

上京してからは4カ月の間、住み込みのメイドとしてルワンダ人の家庭で働いた。そうじや料理、子どもの世話などを担当し、1カ月に15000フラン(約1800円)を稼いだ。

2万フラン(約2400円)は欲しかったから、副業としてアボカドやバナナを自費で買い付け、キガリ市内で、警察の目を逃れながら路上で売っていた」とムヒムンドゥさんは話す。 

そんな生活を送っていたムヒムンドゥさんにとって人生の転機となったのが、縫製について学ぶ職業訓練学校への入学だ。6カ月分の学費12万フラン(約1万5000円)はおばに負担してもらった。「(手に職を付けようと思ったとき)縫製のほかに選択肢がなかった。学費もそこまで高くなかったから」

卒業してから、キミロンコ市場の一角に、おばからもらったインド製のミシンを置き、仕立屋として働き始めた。

売り上げゼロのときも

8カ月が経った今、1カ月の売り上げは一番良かった7月で4万フラン(約4800円)。悪いときはゼロだ。 

仕立ての仕事は、糸や針などを除けば、仕入れがほぼない。このため大きな資本は要らないし、事業としてのリスクは小さいという利点がある。とはいえ経費はゼロではない。「この仕事を続けるには毎月1万7500フラン(約2100円)を市場などに払わないといけない」とムヒムンドゥさんは説明する。 

1万7500フランの内訳は、ミシンを置かせてもらう一角の場所代に1万フラン(約1200円)、市場の警備と清掃の費用として4500フラン(約540円)、税金に3000フラン(約360円)だ。売り上げが足りないときは貯金を切り崩す。 

「貯金は100ドル(約1万5000円)ある」と嬉しそうに語るムヒムンドゥさん。ただ、居候するおばの家からキミロンコ市場までの交通費や食費なども自分で払うことを考えると生活はカツカツだという。 

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